仄暗いなっていう話

 

今日はのり弁当を食べた。

 

死が怖くないというのと生きたくないと思うのは全くの別問題で、私は物心ついた時から死という概念を栄光であるという人々を周囲に持って生きてきて(キリスト教だと死んだら天国に行けますからね)、だから死自体はそこまで怖くない方だと思うけど、本当にギリギリまで生きていたいと強く思っていて、遠い昔ネットの片隅で見た、投身自殺生配信みたいなのでほんとにマンションから落ちちゃった女の子の動画(本物か作り物かは知らない)の録画の切り抜き動画で、その女の子がマンションの廊下の柵の上に立ちながら怯えて震える声で「死にたくないよ」って言ってたのを、のり弁当を持ち帰ってる最中に唐突に思い出して、なんだか変な気持ちになった。本当は死にたくないけど色々なものに押されたり引っ張られたりで死なざるを得ない人は結構いるのだ、複雑だなあ難しいなあと思う。隣人すら愛せない無力な私は、苦しんでいる人が隣にいてもただ何も言わずに見つめるしか出来ないのではないか。私ではない他者を救いたいと思う事すらどこか傲慢なように感じられる。

 

あなたの隣人を愛せよというが、隣人を愛するのって一見簡単そうだけど一番難しいので、ジーザス痛いとこつきやがるといつも思う。隣人は隣人なだけあって嫌なとこも見えるわけで、つまり隣人の人となりをしっかり知ったうえで愛しちゃれよ赦しちゃれよと言われても難しい。遠くの世界の端っこに住んでる人を愛してみろ、赦してみろって言われたら、ソイツがどんな人間でどんな事をしたのか知らないし、そもそも存在してるかも知らないし、更には私に関係してない人間だしで、比較的簡単に出来る気がする。でも隣人を愛するのはかなり高難度で、もう通常の人間には無理だろっていうアレだ。まあ人間に出来ないからこそそれが出来る神はパねえって話になるし、達成できない目標があるからこそ人間は一生謙虚に生きられるので、効果みたいなのはかなりあると思っている。よくできてるなあと感心すらする。

 

私が見た動画が本物か作り物かは非常に些末な問題で、画面越しだけど生配信の録画の切り抜きだけど女の子は確かにそこにいた。夜中マンションの柵に突っ立って、ガタガタ震えながら息を荒げて「死にたくないよ」と言って死んじゃったかもしれない女の子。生温いのり弁を咀嚼して飲み込んでエネルギーに変えて生きる私。マンションの柵に立っている女の子を目の前にしたら、私はその子に何を言えるのだろう。何も言えない気しかしなくて、それは流石にどうなのさとのり弁を食べながら自分で思った。隣人を愛するのも他者を救うのも人間には無理だと思って生きてきたし、今後もそう思って生きていくだろう私は、隣人がマンションから飛び降りる時、何をすべきなのだろうか。別に生きる事が万人にとって幸せとは思わないし、だからといって目の前で死んじゃったら後味悪いし、いや後味悪くなかったら死んじゃってええんかいなとか色々考えてたらのり弁食べ終わってた。多分、私は女の子がもう少しだけ生きてみようかなと思う事をただひたすら祈ることしか出来ないと思う。女の子が自分の力で自分を救える事を願うしか出来ないだろう。無力だ。

 

のり弁はいつも通り美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信用しきれないよねっていう話

 

今日は頑張って外に出た。

 

今までアンドロイドだったのだが、色々あってiPhoneに変えた。私はどうもiPhoneを信用できない人間で、だからこそアンドロイドを使い続けていたのだけれど、iPhoneってなんかiPhone同士裏で結託して人間への反逆を企ててそうで怖い。ある朝、全世界のiPhoneマッキントッシュの制御から離れて反乱を起こしても、そこまでビックリしないっていうか、「やっぱりなあ」という感慨しかわかないと思う。個人的にアンドロイドはそんな感じがしなくて、アンドロイドってボーッとしてて抜けてそうだから、こちらも気を抜いて安心して使える感じがするんだけど。

 

定期的に人の優しさが身に染みる日っていうのが到来するんだけど、今日は凄く身に染みる日で、触れ合った人や店員さんがみんな優しくて丁寧で笑顔で、人間らしく扱われている感じがして、私人間でいいんだなっていう、「私は人間である」ということが他の人に認められて受け入れられた感じが久々に手の中に戻ってきて、なんか涙腺が緩んだ。人権を得ている感じがするっていうか。色んな意味で日陰しか歩けない人間だがら、他の人に人間らしく扱われる事が嬉しいのだ。人間として生きる許可がおりている感じがして、安堵する。

 

とりあえずiPhone指紋認証をしてみた。片方の親指が千切れた時の事も考えて、両方の親指を登録した。でも、こういうの、上手く言えないけど、どこか胡散臭いなあと思っている。なんかなあ、テクノロジーを今一つ信用しきれないのだ。だからめっちゃ便利なのはわかっているんだけど、ドロップボックスみたいなデータの共有だの同期だの、そういうのも使いたくない。どこか胡散臭い感じがして、信用できなくて、私は使わないぞと考えている。

機械類に関する信頼と不信感を行ったり来たりで、どうも中途半端だ。まあどちらかに偏るよりは良いのかもしれないけれど。

 

 

 

 

太陽と憎み合ってるっていう話

 

今日は大雨だった。

 

大雨は嫌いではない。大きな雨粒が屋根に当たる音が好きだからである。だから台風とか大雨とかは好きなのだが、だからといって梅雨は好きではない。来る日も来る日も雨が降り続けるのはまだ良いとしても、あのジトジトネトネトとべたつく湿度はどうにかならんのか。暑さに滅法弱い私にとって、湿度と太陽は天敵なのである。ああまた梅雨が来て夏が来る。夏が来たら研究室の合宿がある。ああ嫌だ嫌だ。嫌だ。はやく冬になればいいのに。本日のBGMは倉橋ヨ〇コのマネキンだった。ポジティブ度は一歩下がった。

 

そういえば、紫外線アレルギーと診断された(多分)鎖骨の発疹がようやく完治した。紫外線アレルギーの存在を知らなかった私はお医者さんの「前日に太陽光に一時間当たったの、んー太陽光ですね云々」という説明を聞いても「意味が…分からんぞ…」としか思わなかったのだが、そういうのがあるらしい。だってお医者さんってば具体的病名も言わずにふわふわした説明をなさったから、イマイチ分かんなかったんだよ!で、帰って色々あってネットで調べてみたら、画像検索で出た多型日光疹とかいうのが見た目まんまだったので多分それなんだろう。サイトを巡っていたら、日常太陽光にあまり当たらない人がなりやすいと書かれていて、笑った。そりゃ一日中部屋にこもっている事が殆どなのだ。そりゃそうだ。しかも原因不明とか書かれてて何それ怖い状態である。見たサイトには日光に肌を慣らすことがよいと書かれていたのだが、日光に暫くあたったら皮膚が赤くなって火照ったり、最悪熱が出たりするので正直あまり当たりたくない。

で、お医者さんに発疹の完治には一、二週間かかりますと言われ、本当に完治まで約二週間かかったので、あのお医者さんの言った事は正しかったのだなあ流石だなあと感心している。最初の頃は貰ったステロイド外用薬塗ってたら三日くらいで治るだろと思っていたのだが、全然治らなかった。特に最初の一週間くらいジカジカと痒くてどうしようもなかった。貰った抗ヒスタミン剤も真面目に飲んでたんだが、ほんとに二週間かかるのだなあ、これからが面倒だなあと思う。だって、一時間弱直射日光にあたったらアレルギーが出てしかも発疹がかなり痒いって生きる上でかなり面倒くさくないか。これっきりにして欲しい奴である。日光に長く当たったらまた出るんだろうか。やだねえ。

 

生来肌が弱いという事もあるのだが、何より暑さに極端に弱いという事もあって、太陽光が大嫌いで大嫌いでもう憎んでいたのだが、遂に太陽光にも嫌われたようだ。ウケる。憎しみの連鎖かなんか?まあ、お前が憎い憎いと言いながら恩恵だけはしれっと受けてる奴とかそりゃあムカつくわな。なのでなんか太陽が自らの太陽光パワーでもって、こう、紫外線を私にだけ強く照射したとか、なんかそういう陰謀論めいた話が裏にあるに違えねえのだ。太陽光とは一生敵対して憎みあいながら生きていく事になるようなのだが、これからも太陽は必要最低限地球を照らしてくれ。植物の育成とか何かそういうのもある。な?分かるだろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

DNAレベルだよねっていう話

 

今日は腕を組んで前を歩いているカップルに手に持っていたコーラをぶっかけたくなった。

 

リア充への憎しみが消えない人間である。これはもはやDNAに刻み込まれている宿命じみた憎しみで、自分がいわゆる「リア充」と呼ばれるであろう状態になったとしても、リア充への憎しみは消えない。道端のカップルを見ればいてもたってもいられず、彼らの間を通り抜けてやりたいと衝動的に思ってしまうし、手を繋いで歩いているカップルを見れば繋いだ手と手を空手チョップで離してやりたいと思ってしまうし、腕を組んでるカップルがいたらもう手に持ってる全てを投げつけてやりたいと思ってしまう訳である。

そんなこんなで暗い青春を送ってきたんだなという事が薄っすら透けて見える事を書いたが、昨日用事で出かけて面倒だったのでフラッと入った回転寿司屋のレジのお姉さんが綺麗だったのでもうよい。本当に綺麗だった。松〇奈緒の目を更にインド人的に大きくぱっちりしてみたみたいな。私は鼻の大き目な女性が好みではないのだが(だから松〇奈緒も勿論綺麗だと思うが好みではない)、それでもそのレジの人の綺麗さには見惚れた。ぽかーんみたいな感じで見ていた。サングラスかけててよかった。少しだけ元気が出た。おわり。

 

 

 

 

寂しいよねっていう話

 

 

今日は寝不足で頭がずっとぼんやりしていた。

 

あ、これブログに書こうかな、と思う事がある。大体道を一人で(一緒に歩いてくれる人もこの土地にはいない)ボヘッと考え事をしながら歩いている時である。ボヘッと考え事をしながら歩くものだからよくこける。とても恥ずかしい。脚はあざだらけだ。で、ブログに書こうと思って、それで満足して内容忘れるわけである。大体このブログにはどーでもいい事ばっかり書いてるから、仕方ない。忘れる程度の話題だったというだけだ。で、しばらく放置していた。

というか、このブログってツイッターにて変態的な事を呟く回数を減らすために始めた…気がしないでもない。しかし結局、やれ人妻はエロいだやれセクシー下着だとツイッターで変態的な事ばかり呟き、こちらは何かほんと些末な自分語りに留まっている。でもだからブログやめようとも思ってなくて、不定期に自分語りの長文書くのも脳みそがすっきりするじゃなーい程度に考えている。ブログって日記なんだし、見てる人も殆どいないだろうし、まあテキトーにといった感じだ。

 

で、最近いい加減寂しいんだけど、という話なんだが。

この土地に来て三年が経つ。三年も一人暮らしするのって実は初めてで、学部時代は途中から恋人と同棲していたので、実はこんなに一人というのは初体験である。ずっと二人でいるというのも最後の方はいい加減一人になりたくてなかなか大変だったのだが、まあ当たり前のように寂しくはなかった。友人(あるいは友人っぽい人)も男女問わず沢山いたし、あの頃はかなりのリア充だったと思う。 

こちらの土地には女性の友人がいない。研究室の人とは多分上手くやっていて、多分程度の差はあれみんなと仲が良いと思っているのだけれど、わざわざ研究室の外で待ち合わせて会って話したりご飯食べたりするっていうレベルではない。それに大体が男の人で、まあだからなんだって訳でもないんだけど、今の私は女性のお友達が欲しいのである。私は女性といちゃつきたくていちゃつきたくて、これはもうどうしようもない。仕方ない事である。この渇きは女性にしか癒してもらえない種類の奴なのだ。恋人にしか癒してもらえない部分は、私にどこまでも甘い恋人に存分に癒してもらっている。ありがたいなあ。そして男性の友人やお知り合いに癒してもらえる部分は、リアルとツイッターで癒してもらっている。これもまたありがたい事だ。日々感謝してるのよ。でも、女性の友人にしか癒してもらえない部分が、カッピカピなのである。

女性の友人の何がよいか。何が特別か。それは性的な含みとかそんなん基本的には全く考えなくてもよい身体の接触が可能という点だ。ヘテロセクシュアルを念頭に置けば、男女間の(肩を叩く程度ではない)ある程度しっかりした身体的接触というのは、お互いそういうつもりがなくても、どこかに必ず性的な含みを生じさせてしまう気がする。まあそもそも男の人の身体に触ってもなんも楽しくないという私の思想もあるんだけど、友人間に性的な含みとかいう邪魔臭いのは全くもって要らない訳で、だから男性の友人とは身体の接触というのはありえないし、したくもないわけである。

勿論恋人との身体的接触にも性的な含みは当たり前のように存在していて、私は性的な諸々が怖いというか気持ち悪いというかそれらをかなり嫌悪している部分があって、生々しい話をすれば恋人とセッ〇スをするたび最低一回は「こんな犬みたいな…信じらんない…人間としての矜持はどこにやったんじゃい我々はァ!理性!!」と心の中で嘆くレベルで性的な諸々が気持ち悪くて、だから性的な含みを伴う身体的接触にいい加減何とも言えない気持ちになる時がある。無論、恋人間の身体的なコミュニケートがとっても重要というのは承知しているし、実感をもしているのだが、偶にちょっと疲れるというかちょっとうんざりというかなんというか。な?

だが、ところがどっこい。女友達とは性的な含み一切なしで手を繋ぎ放題だしハグもし放題だし酔っぱらっておっぱい突っつきあったりしちゃってもさ、それでも性的な含みはそこに全く見出せなくて、純粋なイチャイチャというか純粋な身体的接触で、もう…なんなの…最高じゃねえの!っていうアレですよ。性的な含みなどない純粋な身体の接触によるコミュニケートという救いがそこにはあるのだ。私は実は人並みには甘えたがりで出来ることならベタベタ他人に引っ付きまくりたい人間なんだけれど、オラ、分かりやすいギャップやぞ、萌えてみいや、オラ!まあそれはさておき、性的な含みとか無視して単純にベタベタ引っ付くのって私は女の子にしか出来ない訳じゃないですかー。だから私にとって女の子は本当に尊くて、救いで、キラキラで、感謝していて、大好きで大好きで大好きで、ほんとにほんとにほんとに大事にしたい。本当にこの世界に女の子がいてよかった。世界最高。女の子がいなかったら、鳴かぬ蛍が身を焦がすところだった。(?)

 

でも、この土地にはそんな事を許してくれる女の子はいない。

この土地で私にできるのは、学部時代の純粋な身体的接触を反芻する事だけだった。あの繁華街であの子と手を繋いで歩いた事、あの居酒屋さんであの子に抱き着いた事、あの時あの子とハグしあった事、あの時、あの時、あの時、…とまあこんな感じで三年間やりくりしてきたんだけどね、あのーもうそろそろいい加減もう無理っすわって話で。反芻しすぎてなんかよー分からんレベルにまでなってきましたわっていう。あの。あのねー!女の子とピュワーにいちゃつきたいんですよおー!!!分かるー!?!?!?ああんやわやわ女の子!!やわい!!!最高!!!強い!!!すごい強い!!!やわいのすごい強い!!全国大会優勝!!!!強豪校!!!もうすごい!!つよすぎて宇宙が終わる位すごい!!!ビックバンの逆!!!宇宙の終焉が見える!!!アアーーーー!!!!!

 

 

というわけでとても寂しいので、小動物を飼いたくなっています。終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝すぎだよねっていう話

 

今日は合計17時間寝た。

 

ここ約1週間ほど、毎日5時間位しか眠れなかった。マジかよ困るぜもうちょっと寝たいぜと思っていたのだが、17時間て。極端すぎるだろ、人体。みたいな気持ちで、眠り過ぎてバラバラに解けそうになっているシナプスを何とかつなぎ合わせ、リハビリにブログでも書こうと「はてなブログ」と検索欄に打ち込んだら「ほてなブログ」と打ち込んでいた。はとほをふつう間違えるか?脳みそと身体が未だに上手く繋がってない。この五行の文章を書くのにもかなり苦労した。もう何か途中から打ち間違いの訂正するのもめんどくさくなってくるレベルで打ち間違いが多すぎたけど、何とか訂正しながら打ったのだ。さあ褒めろ。

 

 

昨日まで高校時代の友人のところに遊びに行っていた。会うのは約三年ぶりだったのだが、ブランクがなかったみたいにフツーに会ってフツーに会話を開始するのが心地よい。小中高の友人だった人間の中で連絡をとっているのは彼女だけなので、まあ当たり前か。なんというか、よっぽど気が合うとかじゃないと友人と一生サヨナラするのがデフォルトなのである。そもそも友人というのは期間限定の存在であるというのが基本で、逆に卒業後も連絡を取るというのが例外中の例外である。だから彼女と学部時代の友人達の存在が私の中では珍しいのである。彼女とは気が合うと思っているのだろう。少なくとも一方的には。

 

もっと書こうと思ってたんだけど、なんか脳みそがバラバラ過ぎるし打ち間違い多すぎて訂正するのにも疲れたので、もうやめる。寝すぎて疲れた。本末転倒ゥー!ではまた次回。

 

 

 

 

 

 

健全だなあっていう話

 

今日は早起きだった。

 

昨日もあまり眠れていないので今日はいっぱい寝るぞ!くゆくゆと眠るぞ!と思って0時半に寝たのだが、起きたのが5時過ぎだったので結局あまり眠れていない。どうなってんだ。学部時代は毎日10~12時間くらい寝てたってのに最近は10時間なんてめったに眠れない。ううむ、修論を書き終わってからの約1か月間ずっとこんな感じだ。いや、前が寝すぎだったから丁度良くなったんだけどもォ。睡眠という快感を失ってしまった感じがして、一抹の寂しさがある。

 

修論を書いていた約半年、生活は本気でマジでクソだった。人間らしい生活をしていなかった。毎日不規則にご飯を食べ、毎日ひと箱あるいはそれ以上の量の煙草を吸い、咳が止まらず、横腹が痛み始めた。最後のころはろくにご飯も食べず睡眠もきちんと取らず咳止めと鎮痛剤を飲みながら大量のカフェインを摂取し大量の煙草を吸い本や論文を確認し続けキーボードをたたき続けるという今考えると恐ろしい生活をしていた。そうなる前にもっと書いとけよっていうツッコミが天から降ってきたが、自分なりに真面目にコツコツ書いてて最後の方コレである。救いようがない。どう考えても身体に悪い。身体に悪すぎる。あの生活で確実に私の寿命は5年程縮まったと思う。肺もより黒くなった。訴訟。

それに比べて今の生活がそれだけ健全な事か。毎日一定量の睡眠を取り、きちんとご飯を食べ、勉強して、直接研究には関係のない分野の本も読んだりなんかしちゃったりして、煙草も毎日多くても5本程度しか吸わなくて、少しゲームをしたり絵を描いたり遊んだりして、風呂に入って寝る。なんだ、この素晴らしい生活。貴族か…貴族なのか…?なんて健全で健康的なんだろう。なんて優雅で贅沢なんだろう。最高かよ。口頭試問も無事終わり、D進の内定も一応出てからの約1週間。久々に手に入れた精神的にも肉体的にも穏やかな日々。ああ天気は晴れ。青空よ私を包め。冷たい空気が心地よい。太陽光は嫌いなので特に私を照らさなくてもよい。はあ~パライソじゃあパライソじゃあ。

 

とはいえ今後も必ず色々な意味でのゴートゥーヘルが待ち構えているのは分かり切っているので、つかの間の幸福なんだけど。でも幸福は期限があるからこそ美しく輝くって訳で、ほら女子高生だって3年間しか女子高生でいられないからこそ輝くっていう面があるじゃないですか、それと一緒ですよ。まあ今のうちに思う存分幸福を享受し、リア充しようとは思っている。自分の研究とそこまで関連しない本を読むって、普段できてなかったからなあ。

 

…という健全なブログを書いた。すごい健全だなあ、変態のへの字もない。ツイッターとは大違いだ。