これは私ですか?(2期)

私ではないだろうか

めでたしめでたしっていう話

 

今日は昼間からアイリッシュコーヒーを飲んだ。

 

何を書こうかと思ったのだが、どれもこれも自分語りばっかりでくっそつまんねえな何だこのブログは!レーゾンデートル!!と怒りに満ち溢れ第一次ブログ存続危機を迎えたのだが、よく考えたらブログって公開日記なわけだしモロ自分語りする場じゃあんと気付き、第一次ブログ存続危機は終了を迎えた。

というわけで堂々と自分語りするぞ。何について書こうか、と思った時、最近ようやく完全に解決したことについて書いとこうと思った。テーマは和解と赦しだ。尊いなあ。

 

 

母との関係は十代前半からよくなかった。私が小さい頃はそんな事なかったのに、私が思春期になった途端、関係は急転した。彼女は「母親」というより「私の面倒を見てくれる宗教信者の人」と形容した方がしっくりくる人だった。何よりも誰よりも宗教を大事にしていて、何よりも誰よりも神を愛していると公言してやまない人だった。彼女にとって、私を愛するということは私をまともな宗教信者にするという事に等しかったわけだ。まあ今ならよく分かってあげられる図式で、つまり死んだあと地獄なんかに子供を行かせてたまるかという事である。うんうん分かる分かる。それに衣食住については本当に一生懸命お世話をしてくれていた。ご飯は美味しかったし、洗濯された服は洗剤のいい匂いがした。身体が非常に脆弱だった私は頻繁に寝込んでいたが、その度にちゃんとお世話もしてくれた。でも残念ながらそれは、当時の私が求めていた母の愛ではなかったのである。宗教なんて全く関係ないところにある筈の母の愛がただ欲しかった。だけれども、遂にそれを得ることはなかった。結局、彼女の愛は母親の愛ではなく、宗教信者としての彼女の愛だった。彼女の目は私を透かして常に神に向いていた。

彼女は「彼女の思い描く私」しか受け入れるキャパシティがない人で、私が反抗期の時は、精神の発育にかなり悪いよなあ…と思われる色々な事を私にした。私は本当に彼女が怖かった。私にとっての神は神ではなく、母だった。一挙一動が本気で恐ろしかった。今思えば、精神的に完全に支配されていた。十代最後の頃なんてもう彼女への愛憎が入り混じり過ぎて精神が少しアレだった。一言で言ってしまえば病みかけていた。というか病んでた。「良い娘でないとお母さんに捨てられる」という強迫観念と、母親に愛されたい愛されたい愛されたいというメンヘラめいた感情と、どうして少しでも私がずれたら頭ごなしにヒステリックに罵倒して否定するのかという怒りと、母親をアレしないと(ヤバいのでぼかす)私はいつまでたっても自由になれないからアレしなくてはという止まらぬ妄想と、それらを考えたところで何も解決しないので馬鹿らしいという思考に毎晩苛まれ、不眠症になって絶望の果てといった感じだった。やばかった。いやはや怖いなあ。

 

 

で、そんな病みが生きる上でいい加減じゃま臭くてムカつくので、そこから脱却しようと決意した20代前半の私は彼女を母親と思うのを止めた。つまり彼女を母親だと思うから「私を愛してくれるはずの母親なのに、何で私にあれやこれやばっかりしたの!?」と思ってしまうわけで、「赤の他人なのに何故かめっちゃ面倒見てくれる人」だと思えば自然と上手くいくのでは?という自分で考えついた試みだった。これは実際非常に上手くいった。赤の他人だと思えば、特別愛してくれないのは別に当たり前だし、寧ろ何か赤の他人なのに面倒見てくれてありがとうございますゥ!みたいな気持ちになっていった。やったぜやったぜといった感じだ。ただ、目の前に言葉上では「お母さん」と呼ぶ存在がいるのに、私には母親がいないと思う事に一抹の哀しさがあったのは確かだ。だが、そう思わないと真っ当に生きていけなかったのだ。それに、母親を母親と思わずに五年ほど生きてきたおかげで、冷静に色々と考えることが出来るようになっていった。(あと彼女自身と彼女の家族の過去について色々と知ったというのも関係があるだろう。これについて特に詳しく書くつもりはないが、ただ連鎖というものが恐ろしかった。私はどうにかしなくてはという危機意識が考えを進ませた部分もある。)

 

彼女が私にちょっとアレなやばい諸々の事をしてしまったという事は変わらないし、それによって致命的に歪んでしまった部分が私にあるのはまあ事実と言っても差し支えないだろう。そういう意味で、彼女が基本的には悪いというのはその通りだとは思う。

だが、私も彼女に過剰な期待を寄せ過ぎていたのではないかとも思うようになった。思うに、私は母親という言葉に理想と期待を持ち過ぎていたようだ。十代の頃は「母親だったら、私を愛してくれる筈なのに」とか「母親だったら、何の形容詞も付いていない私を受け入れてくれる筈なのに」とか、そう思って勝手に苦しんでいた。だが、彼女は母親という役割を持つ前にただの一人の人間である。母親という役割を持っただけのただの一人の人間に、私は自分の勝手な高い理想を押し付けていただけなのかもしれないと思った。結局、母親ったって所詮は他者である。私ではない他人である。もう自分の勝手な理想を押し付けるのをやめて、一人の人間としての彼女と付き合っていこうと思ったわけだ。宗教が一番大事だというのも彼女の個性だし、それを責める権利なんて誰にもないと思ったし、それを受け入れたうえで上手く付き合っていこうという訳である。

それに、確かに私の欲しかった母の愛を彼女はくれなかったけれど、違う形の彼女なりの愛をくれていたのは確かだと思った。そもそも自分の欲しい形ピッタシの愛なんて誰からも絶対に貰えない訳だし。彼女なりに私を大事に思って、例えそれがアレなやばい形で現れたとしても、彼女なりに必死に私を愛してくれていたという事だけは認めようと思った。私が彼女に愛されているという事はおそらく事実だ。その内実に関しては沈黙を貫くとしても、彼女が私を愛しているという図式は確実にそこに在るのだ。その図式だけには感謝しようと思った。

 

五年間の母親を母親と思わない期間、彼女が他者であると強く意識することで彼女への様々な負の感情はかなり薄くなった。恐怖におののいたり憎悪しすぎて眠れなくなることなんか全くなくなったし、別段愛されたいとすら思わなくなった。ただし、憎悪に関してだけは彼女を他人と思っている限りでの話だった。彼女への恐怖や愛への渇望はすっかり消え去ったのだけれど、脳みその隅っこで「彼女は私の母親だ」と少しでも思った途端、憎悪だけは際限なく湧き出してきた。だから、「まだ完全に赦せないかあ、そうかあ~」と思って、彼女を母親と思う事をやめていた。時間が薬だぜ!知るか―!いぇーい!とめちゃんこテキトーに放置してた訳である。ついこの間、一か月前ほどまではであるが。

 

ただ、この前、唐突に「あ、遂にこの人を完全に赦せる時が来たのだ」と思ったのだ。一か月ほど前、色々あって正月からは少しずれたのだけれど、実家に帰省した。実家に到着したその夜、彼女の手をちらりと見た時、「あ、この人はきっともう少しで死んでしまうのだ」だと分かった。彼女の手は老女のそれだった。小さい頃に見た祖母の手そのものだった。彼女はもういつ死んだっておかしくはない年齢なのだと思った瞬間、何故か赦そうと思えた。脳内の彼女への憎悪も何もかもが、全て溶けてなくなっていった。そして五年ぶりに彼女の事を「お母さん」と心の底から本心から呼んだ。この人は確かに私のお母さんだと、はっきり思った。そうはっきり思っても、もう憎悪が溢れ出てくる事はなかった。その時、10年以上に渡る面倒くさいアレコレに遂に終止符が打たれたのだと分かった。そしてお母さんにさよならが言えて、自分の人生みたいなものを手に取れた気がした。あー感動的だなあ。映画化決定だなあ。とちゃかして書いてみるが、その晩はもうどうしようもなくなって、流石に布団の中で泣いた。その瞬間を思い出すだけで涙が出てくるくらい、なんか今でもどうしようもないのだ。

 

何で唐突に赦そうと思えたのかについて、(1)年寄りに恨みを持ち続けるのは可哀想だと思ったから(2)この人はもうすぐ死ぬけど私は元気!ざまあ!と思ったから(3)そうだなあみんな結局死ぬんだよな、もうどーでもいいわ全てが。と思ったから(4)この人いつ死ぬか分かんないから、今のうちに勝手に和解をしていつ死んでも後悔のないようにしとこうと思ったから(5)天啓(6)ほんとにただの気分だった…等と様々な仮定を考えてみたのだが、どれもしっくり来ない。強いて言うなら(1)と(4)が部分的にほんのちょっと当てはまるのかもしれないけれど、あの時の胸を去来した何とも言えない想いだけはどうも言語化できない。漠然とモヤモヤしすぎていて掴めないのに、色々なものがギュウギュウに詰まっていて、よく分からない。けれど、悪いものではないという事だけは分かる。

 

 

 

かなり長くなったけど、とにかく言語化して吐き出しておきたかった話だったので、とりあえず書いておく。恥ずかしくなったら消すかもしれないけれど、まあ…うん。でも一応はめでたしめでたしで幸せなお話なのではないかしらね。