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愛玩動物だよねっていう話

 

今日は頭が酷く痛んだ。

 

同居をしている文鳥氏が身体に初めて乗っかってくれた。彼(彼女)の中の人間への信頼感が少し回復してくれたようだ。嬉しい。身体に乗っかってくれるまで剥き出しの太ももを嘴で容赦なくつねられたのだが、これも人間への信頼回復のためじゃここで動いたら台無しじゃわいと思い、ひたすら痛みを我慢して(これは愛する文鳥氏を助けるための拷問なのじゃと妄想し続けた)じっとしていたのが功を奏したのかもしれない。先程太ももを見てみたら全治三、四日くらいの惨状になっていたが、この程度のケガで文鳥氏の信頼を少しでも得られるならお安いものだ。めっちゃ痛かったけど。もう少し信頼が回復して、普通に身体に乗っかってくれるようになるまでは叱らない事にする。勿論叱るったって「ダメよ」と言うだけなのだが。

文鳥氏を幸せにしてあげたいという気持ちで文鳥氏に接している。狩りなどに用いない愛玩動物というのは結局人間の可愛い動物を手前勝手に可愛がりたいという人間の自分勝手な感情から生じていると考えているので、その分、ベッタベタに可愛がってなるべく良い環境で生きて欲しいと思っている。正直に言えば愛玩動物たちへの罪悪感や後ろめたさはある。でも、今一緒に住んでいる文鳥氏は愛玩動物として生まれて誰かのペットになるかペットショップで一生を終えるかだったはずで、それならどの私が愛玩動物として生まれた可能世界の文鳥氏よりも現実世界の文鳥氏を一番幸せにしてあげようという気概で接している。

文鳥氏にとって何が幸せなのだろうか。私の幸せにしてあげたいという気持ちから行っている行為が全部文鳥氏にとっては鬱陶しかったりして、などとよく考える。過去何回か文鳥達を飼ってきたが、いまだによく分からない。ペットにとっての幸福って何なんだろうなあ。