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どこにも行けないよねっていう話

 

今日は風が強かった。

 

言葉にならないのではなく、そもそもそのカテゴライズ用の言葉を発したくない事というのがある。それは直視したくない事であったり逃避したい事で、言語化してしまうとそれが固まって、目の前に形ある問題として、固形物みたいな確固たる形として提出されてしまう感じがして直視せざるを得ない状況に陥りそうで、言葉にしてしまうという事の力みたいなのが恐ろしい。屈強で頑固ですぐブチ切れて客に殴りかかる事で有名なシェフに胡瓜料理を出されてしまってそれを完食しないと大変な事になる、みたいな。ちょっと違う。いやかなり違う。まあよい。

 

私がそういったカテゴリーに入る人間だったとして、どうしろというのか。だからどうなるってんだ、余計大変な事になるだけでねえのか、というのが最近の所感である。だからと言って、それを無視して、ないものとして生きる事は出来ない。言語化していないからぼんやりとした霧みたいな状態にあるそれは、言語化していない代償として常に私の身体に纏わりついていて、私の周囲の酸素を薄める。ないものとしてそれを無視して生きるには苦しすぎる。

でも、それを認める事は、周囲の人間や世間というぼんやりしているからこそ厄介なものとの戦いのゴングを鳴らす事に等しいわけで、小心者でビビりの小市民にはハードルが高すぎる。だからそういう事を自認して受け止めて口に出してそれでも生きている人はピカピカにキラキラに光って見えて、どういう事なんだろうと、どれだけ苦しんだんだろうと、どれだけまず自分と戦ったんだろうと思うと、感情がごっちゃになってよく分かんなくなる。私はまず自分と戦う事からすら逃げていて、このままではだめだと思いつつ、結局はハアハアと息を荒くして、薄い酸素で肺を膨らませようともがいている。

 

認めた先の戦いが恐ろしくて、結局認めるという事からも逃避しているのだ。認めた先に絶望と諦念しか待っていない気しかしなくて、だってそれだと分かって、じゃあどうしろというのか。差別と偏見と親の涙と宗教と独りで戦う?無理だ。死んでしまう。付き合ってる人にもっと好きな女の子がいるから別れようと言う?安定性と安心感を簡単に捨てられる人間ならこんなに思い悩んでいない。あるいは君より好きな子がいるけど同性だから君とは別れないと言う?そんな他者を傷付けるような事を言うなら死んだ方がましだ。好きな子に告白する?そんな事恐ろしすぎて出来ない。じゃあ誰にも言わないで自分の胸のうちだけにとどめておく?

それならいっそ自分でも見ないふりをしていた方がましだとつい思ってしまう。認めたらその分だけ苦しくなるだけで、どうにもならないんじゃないかと思ってしまう。デモデモダッテの面倒な感情は私をどこにも連れて行かずその場に留めさせるだけだと分かっていても、結局デモデモダッテで結論は出ない。くっそ下んねえと自分でも思うのだが、どうしようもないのだ。結論を出す事を怖がって、そのままズルズルと生きようとしている。結論を出してそれを受け入れて生きられるほど私は強くない。自らの弱さを言い訳にする事の哀しさや後ろめたさは知っているけれど、そうとしか言いようがない。本日もまた結論は出ない。

 

 

またどーにもならないブログ記事を書いてしまった。私は猛省して、そうして猛省した後は頑張って生きろ。