ワンダフル・リアル・ワンダーランド

 

 

この間、東京に行ってきた。

 

 

東京は暑くて暑くて、硬い筈のコンクリートもソフトクリームみたいに柔らかくなってそうな位に暑かった。暑い中、マブダチの人とお知り合いの人達(正確には、お知り合いよりも仲が良いと個人的には思っているがお友達と形容するには謎の違和感がある人達)が空港までわざわざ迎えに来てくれて、そうして皆で都庁を見た。熱の余韻が残る初夏の薄闇の中、黙って屹立していた都庁は、とても大きくて、かっこよくて、真っ直ぐに立っていて、凄く感動した。有事の際は都知事の操縦するロボットに変形するらしい。

 

 

飛行機から降りて、マブダチの人達とお知り合いの人達とお酒を飲んで、寝た。起きて、学会発表を聞いて、知り合いの人達やお友達の人達とお酒を飲んで、その場で知り合った女の子達といちゃついて、お酒を飲んで、寝た。起きて、学会発表を聞いて、お酒を飲んで、お酒を飲んで、死んで、お酒を飲んで、タバコを吸って、生き返って、寝た。起きて、都庁にのぼって、東大に遊びに行って、流血して、飛行機に乗った。終わり。こうやって書くと東京では酒しか飲んでいないのではないかしらと思ってしまうけれど、何回か質問させてもらったし、真面目に学会に参加していたし、そもそもが饗宴なんだし、別にいいだろう。多分金曜から月曜までで、私にとって一年分に匹敵する量の酒を飲んだ。あんなにお酒を飲んだのは久々だったと思う。普段は一回の飲み会で二杯程度しか飲まないのに、沢山沢山飲んだ。想定よりも平気だったのは自分でも驚いた。肝臓をフル回転させて、ふやふやとした意識と身体で歩いた東京の道はまるで溶けてるみたいな錯覚を起こして楽しかったけれど、本郷のコンクリートは暑さの中でも溶けずに硬いままだった。東京でも、血は赤いし、空は青いし、結局コンクリートは硬い。東京でも、血は青くなんてならないし、空は血の色にならないし、結局コンクリートは溶けない。

本当に?

東京なら何が起こってもおかしくないと思ってしまうのは私だけだろうか。

 

 

東京は不思議な街だと思う。

三日連続で酒浸りになって眠くて疲れがたまって死にかけていた日曜深夜の代々木、居酒屋の外では外国人たちが大音量で音楽をかけて踊っていた。ああ、美しいなと思った。屈託のない笑顔で踊る彼等は、キラキラと煌めく生を感じさせて、自分達の生を生きていて、本当に美しかった。睡魔と疲労にぐったりとしていた私は遠くに座って、煙草を咥えて耳をすます事しか出来なかったけれど、それだけでも十分だった。

眩暈がするほどの沢山の人がいて、暑くて、雑多で、湿度の高い様々な色の空気が混ざり合って、密度の濃い、堪らなく熱っぽい全体を構成しているのに、東京は不思議と息苦しくなくて、寧ろ羽毛みたいに軽やかで、自由だ。腕を伸ばして普段は掴もうともしないものに触りたくなるくらいには、自由で、開放的で、そうして私が存在しているという事実をトリヴィアルな事実として承認されている気分になる。人が過剰に詰め込まれた東京は、何もかもを包み込んで、それ等すら自らの構成材料にして、そうしてどこまでも深く深く地下へと侵食していく。薄暗さと人口密度の高さと人熱れに混ざって、普段の私は段々薄まって溶けていく。薄まった上っ面が全て溶けてしまえば、そこには本来の自分が残っている。そして東京は本来の私を巻き込んで更に地下深くへと潜っていこうと蠢く。東京に地下へと引っ張られ、地面と自分が繋がっている感覚が、自分は今ここに立って、今まさに存在しているのだという感覚が、クリアになっていく。あの屹立するビル群のように、この私が今ここに真っ直ぐ立っているのだという確信を得た瞬間、肩に圧し掛かっていた何かが束の間消える。東京じゃない場所は、もっと整然としていて、冷静で、かっちりとしている気がする。そこは、整然とした常識的な人間である事を私に要請する。そこには、気を狂わせるほどの熱を孕んだ空気は多分ない。そこには、その熱に受容され、その熱の一部になる悦びは多分ない。そこは、場に溶け込めずに他人とぶつかってきた私がただの私として場に蕩け、その一部になれる悦びを手に入れられる巨大なビル群が突き刺さった奇妙な場所じゃない。

東京はだから不思議だ。

それはどこからくるのだろうと考える時、東京という場所が原因なのか、或いは東京で会う人たちの寛容さが原因なのか、きっとその両方なのだと思う。東京という全てを抱きこみ成長する場と、そこに集まった人々の寛容さが重なって溶け合って絡み合って私を包み込んで、結果私はここに立っているという確信を得る。そうして私にとっての東京は不思議さを増していく。どちらかが欠けたら多分あそこまで私が爆ぜる事はないと思う。実際東京以外の場所で寛容な人々に会っても物凄く楽しいし、一人で東京観光をしても十分に楽しい。でもあんなテンションにはならない。私は東京の熱に酔って、しかも人々の寛容さに甘えている(!)から、救われた気になって爆ぜてしまって制御がきかなくなる。こちらに帰ってきて、なんであんなに弾けていたのだろうか?と眉間に皺を寄せる程度には制御不能になる。いつもはもっとまともだ。正確に言うと、普段もまともではないというのはやや不本意ながら認めるが、東京での私に比べればかなりまともだ。ここは私に冷静でまともである事を要請するから、内面では暴れていても、外面はある程度は制御が効いていて、ある程度はまだまともだ、まだ。多分。東京という街も、そこに集った私の大事なキラキラの人達も、本当に心の奥底から大好きだし、愛してると単純に思える幸せを手に入れた。道が分からないという一点は依然として異様に怖いけれど、東京自体は大好きだと思うようになった。柔らかいタオルケットのように私をすっぽりと包んで溶かす街なんて、東京以外に知らない。人に甘えたいと思う自分は依然として弱すぎるから許せないけれど、上っ面が溶けて流れる東京では、素直に人に甘えられるのかもしれない。そうして、何より、甘える私を笑いながら受容してくれる大事なキラキラの人達も本当に本当に心から大好きだし、愛しているし、もっともっと仲良くなりたい。今思うと甘えるとか気持ち悪いし、甘えてしまったキラキラな人々に申し訳なさ過ぎてギャースと叫びたくなるけど、ガス抜きになったと思う。今考えるに、多分あのあたりで一回ガス抜きしなかったら今頃心がパンクしていた気しかしない。だから結局東京に行ってまた救われたと言っても過言ではないのだ。皆さまガス抜きに付き合わせてしまって大変申し訳ございませんでした、なにとぞお許しくださいと思うのは、きっとここが東京じゃないからだ。やっぱり、まともだ。でも一番言いたいのがありがとうございますだと思えるのは、幸せなんだと思う。

 

東京は大好きだけど住んだら大変な事になりそうだから、定期的に行くくらいが丁度いいのかもしれない。まあ正直実際住んだら住んだでさっぱりと慣れちゃって、一か月後くらいには変なテンションになる事がすっかりなくなるのだろうけど、だからこそ変なテンションになれる奇妙な街としてそっと丁寧に扱いたい。私にとってずっと不思議な街であって欲しい。だから日常では距離をとりたい。日常では熱っぽい目で遠くから見つめていたい。日常では手の届かない遠くにあって欲しい。

日常にしたくないワンダフル・リアル・ワンダーランド、それが私にとっての東京だ。