友宜

 

 

友人は普通にいる。特別多いわけではないが、特別少ないわけでもない。みんないい人で大好きである。友人たちが私の事を大好きかは正直知らん。でも大好きかどうかは知らないけど、普通に好きでいてくれてるんじゃないかなと思っている。希望的観測?そうじゃないと悲しすぎるだろ、いい加減にしろ。

でも、友人と聞いて一番に思い出すのは、今仲がいい友人と思っている人々ではなく、たった一人の女の子だ。声も名前も顔も覚えていない。全体的にぼんやりとした記憶は掴みようもなく、細部なんてとても思い出せない。ただ、その女の子の「あたしたち、今だけ友だちになろう」という言葉しかはっきりと思い出せない。遠い昔の話だ。

 

幼稚園児だった私は、その時スーパーのお菓子コーナーにいた筈で、それでその女の子が話しかけてきた筈だ。なんと話しかけてきたか覚えていないけれど、同世代の子供だった。ちょっと話して、多分気があったんだと思う。「あたしたち、今だけ友だちになろう」、女の子はそう言ってきて、私は同意して、ちょっとの間スーパーで遊んだと思う。何をして遊んだのか全く覚えていないのだが、とても楽しかった筈だ。そう思った記憶がある。それで、確か、女の子の両親が迎えに来て、ばいばいした筈だ。その後自分の両親に車の中で「友だちができた」と報告した筈。両親はよかったね、と言った。筈。

こんなぼんやりした記憶しかない。正直、実際の出来事なのか、夢の中の出来事なのか、そもそも虚偽記憶なのか、という事すら今では判然としない。はっきり覚えているのは、自分が楽しかった事と、女の子の「あたしたち、今だけ友だちになろう」という言葉だけだ。

 

友人と聞くと、そんなぼんやりとした、存在すらもあやふやではっきりとしない女の子の事を思い出す。そして、「あたしたち、今だけ友だちになろう」という言葉を思い出す度、じゃあ今は友だちじゃないのかな、と思ってきた。今でも思う。そう思うと寂しくなる。そうして、私は今でも彼女への友情を持っているんだな、と気付く。でも、きっとあの子は私の事、忘れてるんだろうな、と思って、もっと寂しくなって、脳内の押し入れの中に女の子の言葉をそっとしまい込む。それの繰り返しだ。

もう会う事もない。万が一すれ違ったとしても、お互いあの時の女の子だと認識すらできないだろう。彼女のこれは期間限定の友情であるという宣言が、儚い。あの時、仮に彼女がずっと友だちでいようと言ったとしても、どこに住んでいるのかすら分からない女の子とずっと交流を続けられるわけでもない。あの女の子はきっと賢かったのだろう。私と二度と会えないと分かっていたのだろう。対する私は無邪気に、あるいは愚直に、友だちが出来たという事を喜んだだけで、その事実に気付いたのはもっと後だった。私は昔から単純で馬鹿で、重大な事実に気付くのが遅すぎる。三つ子の魂百までとよく言ったものだ。悲しい程に笑える。

存在してるのかすらよく分からない女の子への友情を引き摺り続けて、彼女も私の事をぼんやりでいいから覚えていてくれたらいいな、という希望的観測を撫でながら、今夜もセンチメンタルとロマンチックに浸って、夜空を見上げるのだ。都会の空は星がぼんやりとしか見えなくて、掴もうとしても掴めない記憶みたいで、満天のお星様なんて手に入れられない。切ない。☆5サーヴァント?ああ、今日ガチャで二人来ましたけども?余裕っすわ。眼鏡クイッすわ。今眼鏡かけてないけど眼鏡クイッすわ。クゥー。