これは私ですか?(2期)

私ではないだろうか

所感

  

 

このまま一人、というのはきっと寂しい。

日曜に熱が出て、気分の悪さに沈み込んで、そしてそのまま自分で自分の看病をした。残念ながら自分を看病してくれる人間は自分以外にいない。満身創痍の自分が青い顔をした自分に囁く「ご自愛下さい」という言葉は掠れていて説得力がまるでない。力強く生きる他者に優しく言われたいものだとどうしても思ってしまうのは、ごく普通の感情の動きである。風邪をひいて高熱が出たら万人がそうなるに違いない。

 

4ヶ月だか3ヶ月前まで持っていた筈の恋人が欲しいという感情は薄れていって、随分ぼんやりしたものになってしまった。なにせそもそもモテないのに加えて、恋愛弱者故に恋愛を恐れる存在者である。恋愛を感じさせる他者との触れ合いが全くないものだから(そしてそれを心のどこかで望んでいるものだから)、なんか恋人いなくてもお友達はいるしーみたいな、恋人いなくてもちょー楽しーみたいな、恋人がいない方が自由じゃーんみたいな、そういう刹那的な感情が先立ってしまう。勿論、例えば、喫茶店の目の前の椅子に誰も座ってない時や、月を見上げて、月が綺麗だねと話しかける相手が隣にいない時に、寂しくはなる。一人きりだと感じると、いつも過去をぼんやりと幻視する。目の前にいつも座っていた人、月が綺麗だねと話しかけたらそうだねと答えた人、ただその過去の事実を幻視して、無感動にそういえばそんなこともあったと思うだけだ。特定の誰かの不在が寂しいのではなくて、自分が一人きりなのが寂しい。でもそんな感情はすぐに日常の喧騒に掻き消される。次の瞬間にはなくなっている。そして欲望は日に日に薄れていく。

 

ただ体調を崩すと、どうしてもそれが止め処なく溢れ出てくる。看病してくれる人間もいなければ心配してくれる人間もいない、辛いと訴える相手もいない、そしてその訴えを受け入れ慰めてくれる人間もいない、そのような事実をまざまざと突き付けられ、それは弱った心身にいとも容易く突き刺さり、血が流れる。そうか私は一人であるな、と自らの熱い血に溺れながら思うのは、なかなか辛いものである。そして少しでも気分の悪さが改善されると布団の中でツイッターに張り付いた。寂し過ぎて、どうしても人とコミュニケートしているという実感が欲しかった。そういえば、恋人と別れてフリーで、かつ近くに家族もいないという状況でこんなに高い熱が出たのは初めてだった。だから独りだというのが余計身にしみた。恋人がいた頃は、恋人に一言同情してもらえたらそれで満足していた筈だ。人間は弱い。だからこそ愛おしいのだけれど、それでももうちょっと強くてもよいじゃないかと愚痴をこぼしたくなる。

心配してくれたり同情してくれる友人及び知人は勿論いるんだけど、友人の同情と恋人の同情とは質が違うように感じるから、ダメだ。それは多分お互いの魂の近さが違う事に起因していて、友人は飽くまでも友人で、それが例え親友であったとしても、魂が直に触れ合って重なり合う事は決してない。恋人は、魂が直に触れ合って、密着して、もちろん溶け合うなんて事は絶対にないのだけれど、それでも奇跡的にそっと重なり合う瞬間はあって、そしてその瞬間は関係性に何か特別なものをもたらして、だから同情や心配の質が決定的に違う。そしてやっぱりささくれ立った心を潤すという点について効率性が高いのは後者のそれで、そう、効率性も違う、まあとにかく、手っ取り早く心を潤して弱った心を甘やかして欲しい、もっといえば、弱った私を受け入れて抱きしめて欲しい時に欲するのは、やっぱり結局恋人なのだ。(というかそもそもそれは友人という範疇を超えた役割だから、ハナから友人に求めていない。)

というわけで、恋人が欲しいという感情が少しだけ復活したわけなのだが、多分健康になって、それから一週間もしないうちに、また簡単に消え去るだろう。でも、このまま一人は嫌だなあと熱にうかされながら思った生々しい感情は忘れたくない。どうも健康な時は素直になれないというか、いや一人でもいいし、みたいな事を考えがちなんだが、病でヘロヘロになった素直な脳みそが欲したものは忘れないでおかないといけない。気がする。大好きが増えても満たされないものは満たされない。残念ながら。私も他者からの大好きが欲しい。一方通行じゃない愛が欲しい。これもまた自然な感情だ。まあどうせまた私の事だから全部すぐに忘れるんだけど。

 

 

* * *

  

 

バラエティー番組を見て一緒に笑うとか、日常を共にしてきた人だった。真面目なドキュメンタリーは一緒に見てくれなかった。根本的に我慢ならない部分が恐ろしく、そしてたまらなく嫌いだった。見下しすらしていた。一番重要な部分が全く噛み合っていない、とずっと分かっていた。それでも、好きな部分はあった。だから、付き合っていた。

私を好きでいた。好きな部分はそれに集約されるだろう。それだけだったかもしれない。だから別れた。それだけではカバー出来なかった。結局、都合のよい私が好きだっただけだろう。そして私も相手自身というよりも、相手の私を好きであるという感情が好きだっただけだろう。下らない。我ながら本当に嫌らしい。下衆だ。

それでも、楽しい事はとても楽しかった。気の合う部分は勿論たくさんあった。友人のままだったら、多分よかった。

もう、二度と会いたくない。