ふぁーふぁーちゃんが唯一の癒しで安全地帯であるため、先程ふぁーふぁーちゃんを摂取した。何言ってるか分かんない。大丈夫私も分からない。大体そんな感じ。どうも私です。日本語が難しい昨今、普通に喋っているそこら辺の人間を真面目に尊敬しているのです。ここ最近の私は隙間をぼたぼた落ちていく言葉にならないサムシングが壺の底の方に溜まっていくのを定期的に廃棄する仕事に就いているわけですが、誰も頼れないから一人で生きていくわけです。言葉にならないです。なんともです。スコップで底に溜まったサムシングを掬っています。表現方法も何もない、述語付けできないやつです。ふぁーふぁーなう、なのです。頭がぼやけてほどけていく。スルスルした手触りのリボンみたいに脳みそが薄く伸びていって、結果として頭蓋からどんどん逃れていく。睡眠は究極的な逃避であり、解放であるのです。放たれです。私は寝る事が楽しみで楽しみで仕方なくて、毎日ふぁーふぁーになるためのを早く摂りたいと焦燥すらしているのです。ふぁーふぁーになると、ほんやりと解放されていきます。勿論生きたいですが、毎日生きるので精一杯なので、すっかり疲れているからです。寝るのは、基本的に、安心できるのです。朝起きるともっと寝ておきたかったと毎日思います。でも夢は見ます。リアルな奴です。嫌な夢は見ると眠れなくなります。よくないです。ふぁーふぁーしてるのは、もう、地に足ついてない、繰り返して毎日を毎日として年月が経っていって、あのね、変に悲観的になるの好きじゃない、むしろ嫌い。でも、なんか私は幸せになる資格がないと、分かってしまって、か細い腕が袖を引っ張る。見えない紐で繋がっている。ぼたぼた垂れてく。全部なくなってく。カーテン。置いていくの。紫色。開いたドア。すり抜けて、思考と思考の瞬間の隙間に滑り込んでくる言葉。透明になっていく準備が哲学なのかもしれない。責任。責任を取らないと。責任をとれ。責任だ。被告人席と絞首台。私以外誰もいない裁判所で、様々な責任の取り方を示され続け、私は多分その中のうちの一つを選択する。頭痛が酷い。ふぁーふぁーの波が強くなってく。何を書いているのかよく分からなくなってきた。打ち間違ってなおしてを繰り返して、毎日を繰り返して、それで。私の意識が後ろに引っ張られていく夢。歯磨きしてよ。歯を磨いてよ。ぼたぼた手のひらから毎日こぼれてく何かと私が、背比べをしている。どこにいる。ここにいる。いつもと同じ。いつもがおかしかったんだ。首を絞められる際限なく止まらない唐突なイメージと私と君?夢と現実を繋ぐふぁーふぁーの橋が気持ちいい。君は死にたい。私は生きたい。死ななければならないという囁きを振り切って、君と私は決して繋がらない。もうずっとふぁーふぁーでいい。ずっと眠りの中でいい。終わらない笑劇。はやく崖から飛び降りろという囁きの中ぼんやりと立っている現実。頭痛。気分の悪さ。絶望。怖いの。全部無くなるのは、眠りは慰めで、ふと、ふやふやとして、壁が柔くなってどこまでも沈んで、全部忘れてく。