ソーレソレソレソーレソ!ぼうりょく☆ミックス~ドキドキ!これがつみとばつですか!?~

 

 

人生BGMの重要性みたいなのは確実にあって、どん底マイナス1000000くらいの時にバカみたいにアッパーな曲を聴くと自分のどん底と関係なく世界が周回体勢に入っており自分のどん底や暗黒などあろうがなかろうが外界は向こう側にあると否が応でも認識させられ、例え私がどん底マイナス1000000でも100000000でも100000000000でも世界は勝手に周回してくれているんだから極東の端に住む私ごときが多少のどん底モードでも許されるだろうと世界の自分への無関心さや残酷さに安堵するのだ。『よっしゃあ〇唄』を聴きながら私とは関係なく統制のとれた動きをする事の出来る大いなる世界を観察する。こんばんは、私だっちゃ!調子はかなりよくないけど、世界は別としてある。ウフフ☆オッケー!私の状態云々ではなく、世界が別としてある、それが重要なのです。それの認識は境界を固める事に繋がり、結果私自身の状態改善の礎となるのです。『よっしゃあ漢〇』は最強である。ある種の善きしらけをもたらすのだ。強制賢者モード。はたと気付く。ああ、世界はあるのだと。

最高。やばい。リビドーすら感じる。興奮する。ごめん、これは嘘。

 

別のお話をしよう。書いている私しか分からない文章を書いて状況整理!なのです!

頭を掴んで型にはめるのだ。すなわち、首を絞め、髪の毛を掴んでそこら辺にある手すりやコンクリートに頭をぶつけ続けるのだ。血が飛び散る。顔面から血を大量に流し、歯が折れ、動かなくなる。型にはめる。完了。正解だ。私は暴力を誰よりも恐怖する。私は暴力を誰よりも厭う。同時に、私は暴力を誰よりも好んでいる。私は暴力を誰よりも愛している。暴力を選択し、暴力を振るい、血を全身にたっぷりと浴びて、生き残る事を誰よりも望んでいる。

暴力である。暴力を受けた結果として私は暴力を振るうしかないのである。これが現実である。現実は血と膿の匂いで溢れているのである。暴力の反動でまた暴力を受け、また私は暴力を振るう。その繰り返しは少しずつぶれていき、拡大していく。最小の暴力など実際問題続かない。最小の暴力はあっという間に拡大し、全てを飲み込む巨大な最大の暴力となる。暴力という手段を選択し、暴力を行使した瞬間、私の敗北は決定している。平穏に生きたかっただけなのにと思う事すら馬鹿らしい程に自己責任。しかし暴力しかない。暴力を振るい、私はこの世界で私として、仮初の勝者として、偽の王者として生きる。それしか我々に手段はないのだ。我々は宿命的に敗北を決定付けられている。我々は暴力なしでは生きてすらいけない。そして実は常に暴力の手ごたえに飢えている。暴力の発露を厭う振りをしながら、暴力の発露の場を常に求め彷徨っている。それが恐らく我々であり、何より私である。その暴力の矛先が私に向いていると恐らくは分かっていながら、血まみれになり歯が折れるのは私であると恐らくは知りながら、それよりも暴力の発露を優先せよと、他を黙らせ生き残れと叫び、黄ばんだ歯を見せつけながら大声で笑う。

一人称パースペクティブと三人称パースペクティブを軽やかに移ろう暴力のイメージの挿入は、暴力の形をした正当な復讐である。唐突に私は何者かに首を絞められ、突然道端で何者かに頭を掴まれコンクリートに何度も打ち付けられる。その度にびくりと身体を震わせ、或いは道端に立ち竦む。その向こう側にいる何者かは何時も見えない。憎悪に塗れた手しか見えない。私の範疇を超えた何者かもまた暴力に飢えているのだ。血に飢えて底知れぬ底を彷徨っているのだ。揺さぶられる深海。ぶれる一人称パースペクティブ。一人称に混じっていく三人称に混じっていく一人称に混じっていく三人称。視点が混乱する。視点が一瞬混ざり合い、私がどこで何を見ているのか分からなくなる。誰がどこで何を見ている?私は今どこにある?決して混じり合わない筈の何かと何かが、混じる。眩暈がする。気分が悪くなる。立っていられなくなる。世界が平板にのっぺりと伸びていく。作り物のくせに、偉そうに、するな。行使してきた暴力の最果てで、私は何度も転覆する。転覆してはギリギリのところで生き返り、また転覆する。

いずれ崩壊するのだろうか。今はそれがぼんやりと怖い。

しかし、脳というのは奇妙なものだ。常識的に考えて狂っている。一日一日壊れていく自己と悪化していく感覚を抱えながら、「よくなるさ」と自分の傷を目隠ししたまま舐め続け、今はひたすら自己同一性について考えようじゃないか。罪と罰