憎悪と復讐と怒りとそして最後に希望について

 

 

今日は家でもぞもぞ蠢いていた。

 

 

ここ最近色々とあったので、過去のよくない記憶が引きずり出され、異様に憂鬱だった。一昨日は特に最悪だった。男性が怖くなる。嫌いになる。また後退してしまった。よくない。でも希望はある。だから前進できる。また生きていける。

よくない記憶。色々あったのだ。魂が損なわれた事や、傷付けられた事や、単純に怖かった事などが、色々。そりゃあ26年間生きていたら色々あるわな。

 

普段性別なんて意識しない。大多数の人はそうだろう。Aくんという友達はAくんという人間、Bさんという先輩はBさんという人間、C先生という先生はC先生という人間、みたいに、そういう風にしか人を見ていない。普通だ。でも、ごくごくまれに男性に対して「ああ、そういえばこの人は男性なんだな」と思う時、途端に背後に暴力の匂いと性の匂いが見えるようになってしまって、気持ち悪い、生臭い、ぬめぬめした何かが見えるようで、認識が混乱する。軽い吐き気を覚える。ある筈のない幻覚だと思っても、どうしても見えてしまう。別にそれが自分に向けられているかとかそういう事はどうでもよくて、男性であるという時点で反射的に恐怖を覚えてしまう。周囲の普通の男性方のおかげで今ではかなり薄れたけれど、最初に刷り込まれたのが恐怖と嫌悪だったせいで、反射的なそれはいまだに治らない。人生は一進一退で、周囲の男性達を見て「そうだよね。普通の、まともな人が殆どやんね」と男性への恐怖の克服のために前進すると、どこかで後退させる出来事が起こる。例えば道端で、例えば学会で、例えば飲み会で、例えばバイト先で。他の人からみればおそらく些細な言葉や些細な行為で簡単に後退してしまう。正直自分はそういったものにセンシティブすぎると思っているけれど、センシティブになるにも理由はある。根源はある。

元彼となかなか別れられなかったのも、それが原因の一つで、私は男性が怖いので、そもそも男性に絶対に逆らえない。プラスで物にあたる人間だったので恐怖に拍車がかかって、笑うしか出来なかった。自分の人生を生きるために自分なりに頑張って別れて、恋人のいない人間になって、恋人欲しいと連呼しながらも、多分このままじゃずっと出来ないか、またよく分からん人に引っかかるだろうなあとずっと思っていた。怖いままでは、多分誰と付き合っても駄目だろう。結果怯える事になる。元の木阿弥だ。

女性が救いになるのも、結局男性が怖いからだ。女性が好きなのは、男性が嫌いだからだ。憎いからだ。女性を見ておけば、暴力の影という幻覚を、見なくて済むからだ。

 

これさえ解決できれば私は完全に自由だ、という問題が、上記のやつみたいなので、これについて考えるには根本的な原因について考えないといけなくて、ただ、なんというか、そもそもそれは思い出したくもない出来事だったし、正直どう扱ってよいのか分からないものだしで、その出来事をわざと軽い出来事のように扱ってみたり、重い出来事のように扱ってみたり、試行錯誤しても、それでもどうしようもなく、手持無沙汰だった。で、放置してた。いつか直視できる日も来るだろう、と。んで、ついに来た。怒りの日の到来だ。

男性には絶対に勝てないという気持ちが根底にあり、それを取り去る事はもう出来ないだろうと思っていた。暴力を受けた時、私は縮こまるか笑う事しか出来なかった。これ以上は傷付けないで下さいと阿る事しか出来なかった。バカにしたような嘲笑含みの目を見ないふりをして笑いながら地面を見つめるしか出来なかった。でも、昨日見ず知らずの男に心ない言葉を吐かれて、憂鬱に拍車がかかった時、今の自分はその暴力を本気で純度100%で悔しいと思えて、怒りを感じていると気付いた。その気付きを得た時、あ、私はきっと大丈夫だと思えた。辛いけれど憂鬱だけれど大丈夫だと思った。自責の念が全くない状態で、悔しいと思えるようになっただけ、救いはある。怒りを感じることが出来るようになっただけ、強くなった。そう思えるようになったのは、きっと周りの男女含めた大事な友人や知り合いの人達のおかげだ。心からのありがとうを伝えたい。私心から怒ってるな、怒れてるな、と気付いて、一縷の望みがあるのだと思えた。他人の自分勝手な欲望に巻き込まれ、決定的にではないにしろ酷く損なわれた昔の自分を抱きしめてあげられるのは、私しかいない。そろそろ昔の自分を見ない振りをやめて、辛かったね苦しかったね、そして無視しててごめんねと言わなくてはならないと思った。昔の自分の分も、今の怒る事の出来る私が怒らないといけないと思った。そうじゃないと昔の私も、そして今の私も救われない。遂に思えた。サイコー。憂鬱も悪くない。一昨日のクズみたいなおっさんありがとう。二度と女性にああいう事言うんじゃねえぞ。

私は悪くなかったのだ。なんにも悪くない。そういう意味で自分の女性性を呪う必要はなかったのだ。怒って当然なのだ。そうだ、あの日の私は100%悪くない。だってなんにもしてない。普通に生きてただけじゃん。ようやくそう思える日が来たのだと思うと本気で感慨深い。涙ぐむ程度には感慨深い。感動的だ。そう思いたくても、過去の自分を呪うばかりでずっとそう思えなかった。私があの日外に出なかったら、私があの場所にいなかったら、そもそも私が女じゃなかったら、そう思っては謎の自責の念に駆られていたつい先日までの私が、本当に馬鹿みたいだと思える。過去の自分を救えるのは自分だけだ。怒っていいのだ。小さなころの私が戦えなかった分、怒れなかった分、今の私は怒りと共に暴力と戦う決意をしなくてはならないのだ。それがきっと復讐になる。私を傷付けてきた男達への、なにより名前も知らないあの男への容赦ない復讐になる。

でも、多分、15年以上にわたって蓄積されてきた恐怖と嫌悪と憎しみは簡単に消えないだろう。もしまた何かが起こったら、バカみたいにセンシティブな私は傷付いて、ここ数日みたいに一進一退で、怒って、悲しんで、無力感に苛まれ、そして今までのように周りの人に慰められ、励まされながら生きる事になるだろう。これだけ見たら今までとあまり変わらないかもしれないけれど、でも、心から悔しくて怒れた事は、私にとって凄まじい希望になる。怒るというのは、それが不当であったと理解したという事で、そして自分が悪かったわけではないと理解したという事だ。その理解が自分の中にあるという事が分かっただけで、私は明日に希望をもって生きられるから、遠い未来にも希望を持って生きられる。その希望を灯りにして、怒るべき事にきちん怒ろうとか、暴力と戦える人間になろうとか、そうしていつかは素敵な恋人が出来るかもしれないとか、そういう今まで持つ事を諦めていた類の希望を持つ事が出来るから、これは紛れもない救いだ。今まで色々辛い事もあったけど、頑張って生きてきてよかった。オプティミスティックに、ポジティブに、決然と生きようという姿勢は多分、間違ってなかった。

救いを前に生きてきてよかったと心から思える私は、きっと幸福だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

化粧とあれっていう話

 

今日はミスドに六時間も居座った。

 

化粧が最近安定しない。

今までアイラインは平行~たれ目位に引いていたんだけど、最近何となく釣り目気味に描き始めてから安定しなくなった。じゃあ戻せよっていう話なんだけど、なんかここ最近ずっと顔がむくんでいて、それもあって更に安定しない。鼻が常に熱っぽくて腫れてるみたいな感じなんだけどどういう事なの。

アイラインの角度で全部決まる目元の詐欺に私は全身全霊をかける。目元で顔が全部変わる。目の横幅が1mm違うだけで、目の縦幅が1mm違うだけで、二重の幅が1mm違うだけで、顔は全く変わる。目の横幅も二重幅(普段の私は奥二重である)も全てを変えて、外に出ているのだ。外の私と家の私は別人と言っても過言ではない。別の顔をした別人格だ。外に出る時は、違う顔の私に私は化ける。外で笑っている私は化物だ。

化粧をするのは、二つの理由からで、まあ一つ目は単純にすっぴんの自分の顔が嫌いだっていうだけで、私のすっぴんは絶妙にバランスがとれていない。顔の大きさや口や鼻に比べて目が全体的に小さいのだ。奥二重だし、奥二重のまま化粧をすると、どう頑張っても未亡人臭というか、なんか悪い意味で幸薄そうな顔になってしまって、バランスもいまいち取れてない感じがして、本当にため息が出るくらい嫌いだ。顔の印象を決定付けるのは諸々のパーツではなくバランスで、目をある程度拡大しないとバランスがうまく取れないのだ、私の顔は。ちくしょう。だからいつも言ってるだろ、化粧取ると顔がカオスになるって。あれマジだからな。なめんな。

二つ目の理由は、私を外用の私にするためだ。こっちの方が重要な理由かもしれない。化粧は私の鎧だ。外で戦うために私は化粧をする。化粧をして、まるで別人のような顔になった私じゃないと、そうじゃないと外に溢れる暴力とは戦えない。おどおどした私では暴力で精神が死んでしまう。ある種の暴力をそもそも寄せ付けないようにある程度の武装をしないと大変な事になる、というのが今まで生きてきて学んだ教訓で、武装用の化粧をするようになってからはある種の暴力からは守られるようになった。他の不愉快な事が起こるようにもなったが、それは不愉快なだけで暴力ではないので我慢できる。暴力すれすれ危機一髪な事態もごくごくごくごくまれに起こるけれど、暴力そのものに比べればまだ全然ましだ。魂は傷付かない。

 

でも化粧でも誤魔化せない内面というのが確かにあって、なんか誤魔化せないそれがじわじわ出てるんじゃないだろうかと最近うっすら思っている。ブログには具体的に書きたくない事柄をどうにかして吐き出したいという欲求を満たすためにかなりぼかして書くので、読んでも私以外分かんないだろうから読まなくていいです、ここからは。あれによるあれに起因するあれというあれ(?)へのあれやあれが未だに拭えず、結局なんかこう、あれを変にあれさせる私のあれのあれがにじみ出ているというか、なんかそんな感じ。あれがあったから、あれやあれにも対抗できなかったんだろうし、あれともずるずるあれしてたんだろうというか、なんかそんな感じ。どうあがいてもあれの持つあれには敵わないんだという、あれ。自分のあれと比べた時の圧倒的あれさとそもそもあれというものを痛感させるあれ。最近、もしあれがなかったら人生こんなんじゃなかったんかな、とよく考えるが、うーん、あれ、もう、ほんと、あれやあれであれできずあれにあれしてしまったあれはほんと、あれしたほうがいい。あれ。あれしてやりたいくらい未だにあれ。別にあれ自体がよくないとは全く思わないし、あれであれしてるならむしろ全然いいと思うし、あれであるという事にあれしているあれの人達もいるだろうしそういうあれの人達には心からあれしていてあれをあれしてるし、実際にあれをあれするあれが目の前にいても笑ってるけど、あれしちゃったあれはほんとあれだわ。あれをあれした方がいい。全員私があれしてやりたい。そもそもあれなあれにあれなんてほんと信じらんないし、あれですよ、だって未だあれだったのに、そんなあれなあれにあれって、ほんと、何なのって。いやあれはあれだからあれにあれするのは当たり前なんだけどさ、もし私があれであれにあれ出来るなら、それでもあれ的にお前あれはあれなんかと胸倉掴んで問いただしてあれしてやる、絶対。未だにあれの時のあれはあれだし、あれの後のあれが心にこびりついて取れない。多分もう一生取れないわ。どうしてくれんの。あれがあれすぎてあれであれしてあれを待ってた時のあれとか、あれになってもあれにあれされたあれが全く取れなくてあれで何度も何度もあれした事とか、あれしようとしてもあれ出来ないんですよ、っていうか、そもそもあれにあれなあれをあれさせるってほんとなに考えてんのって。結局私があれなのもあれに起因しているわけで、だってあれはあれやあれじゃない限り私にあれしてこないじゃないですか、あれ込みでのあれはね。あれなしのあれはありますけどね全然。そういう意味であれっていうか心からあれだから、だからあれは私にとって救いなんですよね。そういう意味であれがないし、あれなしのあれは本当に心が休まるから、あれなんだよなあ、大好きなんだよなあ、あれ。だから私はなんかあれのあれからあれされない限り、あれに関してはあれになれないっていう気しか最近しなくて、あれとあれしてた時は、あれについてはきっともう大丈夫だなどと思っていたけど、結局あれはあれだったし、あれー全然あれじゃんって。結局あれから私は全くあれしてないじゃん。あれがあれした時のあれだった私から一歩もあれしてないじゃんっていう、気付きを得たというか、結局あれがあれすぎてあれの前ではあれしてしまうんじゃんって。結局あれがあれなままなんじゃんって。勿論ほとんどのあれがあれだって経験的に知ってるし、実際あれなあれは皆あれであれなあれだから大丈夫って分かってるんだけど、それでもあれなあれのせいであれが未だにあれなんだよね。

あれほんとあれだから、私一生怨むから。

他の人間は全員許しても、お前だけは一生許さないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

ワンダフル・リアル・ワンダーランド

 

 

この間、東京に行ってきた。

 

 

東京は暑くて暑くて、硬い筈のコンクリートもソフトクリームみたいに柔らかくなってそうな位に暑かった。暑い中、マブダチの人とお知り合いの人達(正確には、お知り合いよりも仲が良いと個人的には思っているがお友達と形容するには謎の違和感がある人達)が空港までわざわざ迎えに来てくれて、そうして皆で都庁を見た。熱の余韻が残る初夏の薄闇の中、黙って屹立していた都庁は、とても大きくて、かっこよくて、真っ直ぐに立っていて、凄く感動した。有事の際は都知事の操縦するロボットに変形するらしい。

 

 

飛行機から降りて、マブダチの人達とお知り合いの人達とお酒を飲んで、寝た。起きて、学会発表を聞いて、知り合いの人達やお友達の人達とお酒を飲んで、その場で知り合った女の子達といちゃついて、お酒を飲んで、寝た。起きて、学会発表を聞いて、お酒を飲んで、お酒を飲んで、死んで、お酒を飲んで、タバコを吸って、生き返って、寝た。起きて、都庁にのぼって、東大に遊びに行って、流血して、飛行機に乗った。終わり。こうやって書くと東京では酒しか飲んでいないのではないかしらと思ってしまうけれど、何回か質問させてもらったし、真面目に学会に参加していたし、そもそもが饗宴なんだし、別にいいだろう。多分金曜から月曜までで、私にとって一年分に匹敵する量の酒を飲んだ。あんなにお酒を飲んだのは久々だったと思う。普段は一回の飲み会で二杯程度しか飲まないのに、沢山沢山飲んだ。想定よりも平気だったのは自分でも驚いた。肝臓をフル回転させて、ふやふやとした意識と身体で歩いた東京の道はまるで溶けてるみたいな錯覚を起こして楽しかったけれど、本郷のコンクリートは暑さの中でも溶けずに硬いままだった。東京でも、血は赤いし、空は青いし、結局コンクリートは硬い。東京でも、血は青くなんてならないし、空は血の色にならないし、結局コンクリートは溶けない。

本当に?

東京なら何が起こってもおかしくないと思ってしまうのは私だけだろうか。

 

 

東京は不思議な街だと思う。

三日連続で酒浸りになって眠くて疲れがたまって死にかけていた日曜深夜の代々木、居酒屋の外では外国人たちが大音量で音楽をかけて踊っていた。ああ、美しいなと思った。屈託のない笑顔で踊る彼等は、キラキラと煌めく生を感じさせて、自分達の生を生きていて、本当に美しかった。睡魔と疲労にぐったりとしていた私は遠くに座って、煙草を咥えて耳をすます事しか出来なかったけれど、それだけでも十分だった。

眩暈がするほどの沢山の人がいて、暑くて、雑多で、湿度の高い様々な色の空気が混ざり合って、密度の濃い、堪らなく熱っぽい全体を構成しているのに、東京は不思議と息苦しくなくて、寧ろ羽毛みたいに軽やかで、自由だ。腕を伸ばして普段は掴もうともしないものに触りたくなるくらいには、自由で、開放的で、そうして私が存在しているという事実をトリヴィアルな事実として承認されている気分になる。人が過剰に詰め込まれた東京は、何もかもを包み込んで、それ等すら自らの構成材料にして、そうしてどこまでも深く深く地下へと侵食していく。薄暗さと人口密度の高さと人熱れに混ざって、普段の私は段々薄まって溶けていく。薄まった上っ面が全て溶けてしまえば、そこには本来の自分が残っている。そして東京は本来の私を巻き込んで更に地下深くへと潜っていこうと蠢く。東京に地下へと引っ張られ、地面と自分が繋がっている感覚が、自分は今ここに立って、今まさに存在しているのだという感覚が、クリアになっていく。あの屹立するビル群のように、この私が今ここに真っ直ぐ立っているのだという確信を得た瞬間、肩に圧し掛かっていた何かが束の間消える。東京じゃない場所は、もっと整然としていて、冷静で、かっちりとしている気がする。そこは、整然とした常識的な人間である事を私に要請する。そこには、気を狂わせるほどの熱を孕んだ空気は多分ない。そこには、その熱に受容され、その熱の一部になる悦びは多分ない。そこは、場に溶け込めずに他人とぶつかってきた私がただの私として場に蕩け、その一部になれる悦びを手に入れられる巨大なビル群が突き刺さった奇妙な場所じゃない。

東京はだから不思議だ。

それはどこからくるのだろうと考える時、東京という場所が原因なのか、或いは東京で会う人たちの寛容さが原因なのか、きっとその両方なのだと思う。東京という全てを抱きこみ成長する場と、そこに集まった人々の寛容さが重なって溶け合って絡み合って私を包み込んで、結果私はここに立っているという確信を得る。そうして私にとっての東京は不思議さを増していく。どちらかが欠けたら多分あそこまで私が爆ぜる事はないと思う。実際東京以外の場所で寛容な人々に会っても物凄く楽しいし、一人で東京観光をしても十分に楽しい。でもあんなテンションにはならない。私は東京の熱に酔って、しかも人々の寛容さに甘えている(!)から、救われた気になって爆ぜてしまって制御がきかなくなる。こちらに帰ってきて、なんであんなに弾けていたのだろうか?と眉間に皺を寄せる程度には制御不能になる。いつもはもっとまともだ。正確に言うと、普段もまともではないというのはやや不本意ながら認めるが、東京での私に比べればかなりまともだ。ここは私に冷静でまともである事を要請するから、内面では暴れていても、外面はある程度は制御が効いていて、ある程度はまだまともだ、まだ。多分。東京という街も、そこに集った私の大事なキラキラの人達も、本当に心の奥底から大好きだし、愛してると単純に思える幸せを手に入れた。道が分からないという一点は依然として異様に怖いけれど、東京自体は大好きだと思うようになった。柔らかいタオルケットのように私をすっぽりと包んで溶かす街なんて、東京以外に知らない。人に甘えたいと思う自分は依然として弱すぎるから許せないけれど、上っ面が溶けて流れる東京では、素直に人に甘えられるのかもしれない。そうして、何より、甘える私を笑いながら受容してくれる大事なキラキラの人達も本当に本当に心から大好きだし、愛しているし、もっともっと仲良くなりたい。今思うと甘えるとか気持ち悪いし、甘えてしまったキラキラな人々に申し訳なさ過ぎてギャースと叫びたくなるけど、ガス抜きになったと思う。今考えるに、多分あのあたりで一回ガス抜きしなかったら今頃心がパンクしていた気しかしない。だから結局東京に行ってまた救われたと言っても過言ではないのだ。皆さまガス抜きに付き合わせてしまって大変申し訳ございませんでした、なにとぞお許しくださいと思うのは、きっとここが東京じゃないからだ。やっぱり、まともだ。でも一番言いたいのがありがとうございますだと思えるのは、幸せなんだと思う。

 

東京は大好きだけど住んだら大変な事になりそうだから、定期的に行くくらいが丁度いいのかもしれない。まあ正直実際住んだら住んだでさっぱりと慣れちゃって、一か月後くらいには変なテンションになる事がすっかりなくなるのだろうけど、だからこそ変なテンションになれる奇妙な街としてそっと丁寧に扱いたい。私にとってずっと不思議な街であって欲しい。だから日常では距離をとりたい。日常では熱っぽい目で遠くから見つめていたい。日常では手の届かない遠くにあって欲しい。

日常にしたくないワンダフル・リアル・ワンダーランド、それが私にとっての東京だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィクショナル・ワンダーランド

 

 

今日は朝起きると隣に女子高生がいたので驚いた。

 

 

昨日から体調が悪くて、今日はずっと寝ていた。何もできなかった。今日はダメだったのだと割り切って、明日は色々したいと思う。読みたい本はたくさんあるのだ。あとソシャゲ始めたいし。ソシャゲ、ツイッターの方では何度か呟いたけど、最初に好みドストライクの女の子キャラが出ないと全く続かなくなるので、どうにかしたい。

 

で、女子高生である。朝起きたらベッドの隣に女子高生が寝ていたので本気でビビった。何故隣に女子高生がいるのか本気で分からなかった。だって、昨日は一ヶ月限定のバイトの最終日で、体調が途中で物凄く悪くなって、何とか帰り着いてベッドに倒れ込んで、ラノベを読んで泣いて、そのまま一人で寝たのだ。こんな美少女JKが入り込む余地はないし、そもそもこんな美少女持って帰ってたら120%覚えてるっての。何かどうしたらいいか本気で分からなくなって、思考が停止して、とりあえず歯を磨きに行った。今考えると完全にテンパっている。何で歯を磨きに行くのだ。でも仕方ないと思う。だって目が覚めると隣にセーラー服着た女子高生がいるのだ。それだけでもビビるというのにしかも美少女で色白で黒髪ロングで姫カットでスレンダーで黒ソックスだ。黒ソックスて、お前、ちょっとお前、ドストライクかよって等と考えながら歯を磨いてベッドに戻ってみると、女子高生はまだいた。ただでさえ体調が悪いのに、体調の悪さとは違う原因の眩暈がプラスされ、たまらなくなりベッドに座り込んだ。これは多分幻覚だ、と思った。多分ツイッターで女子高生と同棲したいって呟きすぎてついに幻覚まで見始めたのだ。取りあえず自分の手の甲をつねってみた。痛かった。

次はこの恐らく幻覚である目の前の女子高生に触れてみて幻覚かどうかたしかめてみようと思ったが、手が止まった。つるつるの白い肌に毛穴は見えず、自分の肌との違いにただただ驚いた。CGかなんかか?長い長い睫毛、鼻筋のはっきりした小さな鼻、桃色の薄い唇、黒いスカートの纏わりついた細い脚、あ、これヤバいな触ったらヤバい奴だな、なんか凄い犯罪臭い。というか十中八九犯罪なのでは、こんなモテないヤバい変態的人間がこんな美少女に触ったら警察呼ばれるのではというか家にこんな美少女がいる時点でこの子が起きたら警察呼ばれるに違いないのでは、と気付き、焦燥した。

それは困る

ようやく博士後期課程にあがれたというのに警察に逮捕は困る。しかも女子高生家に連れ込んだって。いや連れ込んでないけど。でも状況はそうじゃんっていう。そんなの研究室の人間にばれたら何言われるか分かったもんじゃない。いや、何言われるか分かるわ。アイツはもともとちょっとやばい奴だったがついにやってしまったかと言われ、飲み会のよい肴にされるのが目に見えている。体調が悪くて眩暈がする身体を何とか支えながら、止まった手を下におろした。動悸がした。どうしよう。この子が起きたら、どうしよう。起きる前に殺すしかない?でも死体をどうしたらいいんだ、溶かす鍋も大量の水もない。いやいやいや何考えてんだ馬鹿、そもそも殺した方が罪状重いだろ、いやでも、どうすれば、そもそも幻覚の可能性もあるぞ、だから幻覚かどうか確かめてから殺すかどうかも判断しないとダメだ取りあえず触ってみようと思って、勇気を出して手を伸ばした。真っ白な手首にそっと触れる。骨の辺りに触れたのか、皮膚の下の硬い感触と生温さが指先に伝わってきた。幻覚にしてはリアルすぎる、けど幻覚ってリアルなもんなんでは、と思い、あああマジダイモーン罪深い!方法的懐疑!コココ、コギトエルゴスム!と適当に連想されたデカルトに救いを求めたが、依然として幻覚なのかリアルなのか本気でどっちか分からない。今でも分からん。あれか、もう、エポケーかって、そういうレベル。それだけ状況がおかしかったのだ。我思う故に我ありは凄いけど、知りたいのは目の前の美少女が幻覚なのかリアルなのかなの!とベッドに座ったまま混乱していたら、美少女の目がぱっくりと開いた。あ、やばい、と思って急いで手をひっこめた後で、女子高生は起き上がった。めっちゃ綺麗だった。いやほんと、綺麗すぎて意味分かんないっていう。美少女女子高生はしばらくボーッとしていたが、私の方を見つめてきて、小さな声でごめんなさいと言った。めっちゃ美人過ぎて、目がおっきくて、黒目がうるうるしてて、小顔で、姫カットが似合うって時点で美人確定なんだけど、多分この子だったら、どんな髪型でも似合ってしまう、こんな、こんな見た事もないような美少女が人類なら、私は一体何なんだと思うレベルで綺麗で、謝られた事に暫く気づかなかったレベル。凄かった。マジで。

で、テンパってたので何でここにいるのかを聞く前に、何で謝ってきたのか尋ねた。緊張してめっちゃどもってしまったけど、美少女は挙動不審の私に変な顔もせず、真顔で色々と詳しく説明してくれた。あの子のプライベートに関わってくるだろうから詳細は書けないけど、簡単に言えば、色々あって家出して、でもお金も寝るところもなくて、目の前にあったアパートのドアノブを片っ端から回してみたら、私の部屋のドアが施錠なされていなかったらしい。それで上がって、ベッドに寝たらしい。ああ、昨日体調悪すぎて帰った途端廊下に寝転んだから鍵かけるの忘れてたのか…っていうかめっちゃ危ないな、私気を付けろよ…などと考えていたら、おもむろに美少女がベッドから降りて、玄関まで歩いて行った。どうしたんだろうと思って着いて行ったら、玄関に転がっていたローファーを履いて、お世話になりましたとだけ言って軽くお辞儀をして、鍵を開けて、出て行った。私は、なんていうか、驚きすぎて、展開についていけなくて、体調悪い事も忘れて、彼女を追いかける事すら忘れて、しばらく突っ立っていたけど、突然我に返って、玄関から飛び出して道端に立って周囲を見渡したけど、もうどこにもいなかった。しばらく近所を歩き回ってみたけど、いなくて、体調の悪さがじわじわ蝕んできて、息が荒くなってきたので諦めて帰った。帰る途中、結局彼女が幻覚なのかリアルなのか判断が付かなかったな、と思って、なんか笑うしかなくて笑った。ドアの施錠をして、階段を上がって、さっきまで女子高生が寝ていた布団に寝っ転がった。ガンガンにつけたクーラーのせいで女子高生のぬくもりはシーツに残っていなかったけど、指先で白い手首に触れた感触はまだ残っていたから、それが外界の空気に触れて汚れないように、ぎゅっと手を握りしめた。今思うと相当キモい。

 

しかし夜になって思い出しても狂ってんな。事実は小説よりも奇なり、なんていうけど、ここまでヤバいリアルを想定してないだろこの言葉っていうレベルで。なんだったのあの美少女。マジで訳分かんなさすぎて、頭がハテナで埋め尽くされてんだけど。いやさあ、多分フィクションだったら、美少女女子高生がそのままいついてくれるとか、そういうワンダフルなワンダーランド的な事が起こるんだろうな、と思って、現実ってほんと意味分かんない、そもそも幻覚だったのかリアルだったのかすら分かんなくて、今でも戸惑ってて、現実不条理すぎだなって思うわけですよ。まあ美少女だからよかったけどさあ、ほんとに綺麗だったんだもん。あんな綺麗な子いるんだって、心の奥深くから感動して、本当にドキドキしたんだもん。あの子、また会えるかな。玄関施錠せずに寝たら、また来てくれるかな。幻覚だったら、また現れてくれたらいいのにな。私の脳みそ頑張ってよ。

 

 

分かってると思うけど、ところどころ本当だけど、重要な所は全部嘘だからね?

 

 

 

 

 

 

 

露悪的に生きたいものだっていう話

 

今日は早起きだった。

 

これはとても読む価値のないブログです。

悪人になりたいと思う事が定期的にある。悪人といっても犯罪に走るとかそういう事ではなくて、他人を傷付けても他人に傷付けられてもなんとも思わずに笑ってお仕舞にして、そうして自分の感情と欲望にどこまでも素直に生きたいという事で、それを私は悪人と形容しているだけだ。他人がこう思うとかそういうのを気にせず前だけ見て歩いて、前にいる人間を蹴散らしてもどれだけ傷付けても、その結果自分の履いているヒールが傷付いても蹴散らした人に刺されても、鼻で笑っていられるような人間になりたいと思う。

まあ、無理なんだけど。

他人が傷付いているのを見るのは忍びない。それに意外なのだが私はかなり禁欲的である。だから無理だけど、せめて自分の欲望に忠実に生きてみたいと思う。例えば、夜中にポテトチップスとコーラが食べたくなったらまっすぐコンビニに向かうとか、誰でもいいからセッ〇スがしたくなったら適当な人とするとか、欲しいものがあったら後の事は全く考えずに全部買っちゃうとか、そのレベルで。その結果酷い事になったとしても笑っていられるような人間は生きるのが楽しそうだと思う。そういう事を後ろめたさなしに出来てしまう人間になりたい。

まあ、無理なんだけど。

自分の欲しいものを相手から奪い取る位強く生きたい。私は結局いつも奪い取られる側で、もううんざりだしいい加減飽きたわっていう感じである筈なのに何故か最終的にはいつも奪い取られる側にいる。ばっかみたいである。露悪的に生きて全ての人の顔を顰めさせたいものだとふと思うけれど、どうも奪い取られる側に慣れ過ぎているようで、そろそろ奪い取ってやるという気概の一つくらい欲しいものだ。愛も希望もなんもかんもカツアゲして無理やり奪い取る。そういう気持ちで生きるしかない。胸倉掴んて奪いとる。でも奪い取っても結局無理矢理この手に得たものは、手の隙間からすり抜けて去っていく。しっかり抱きしめて逃げないように縛っても、それ等は全部消えていくだろう。無理矢理得たものなんてそんなものだ。どうしようもない。なのでもう開き直って露悪的に生きるとこから始めようかなと思った。自分の醜い部分を曝け出して生きて人類の顔を顰めさせて、全員から石を投げられるくらいに。

きっとこのまま私はどこにも行けないのだろう。ブログを書いてる間くらい、悲観的になる事くらい、許してよ。自分の悲観的部分を隠して生きるの、もう疲れたのわ。私は元々異様に悲観的な人間だし、でもこんな私が悲観的だともうどうしようもなくマジでいいところないじゃんと思って努めて楽観的に明るく生きようとしてるだけで、別に根本は楽観的でもポジティブでもなんでもない。楽観的な言葉を頻繁に吐くのはただ自分に言い聞かせたり他人様を不快にしないようにしてるからなだけだし、ほんとは怖くてずっとグジグジしているし、だから何とかグジグジしないためにバイト大量にしてるんだけど、甘えたいし抱きしめられたいし泣きたいし辛かったし物凄い傷付いたし、そういう事ブログに書いちゃう私ほんとキモいけど、事実だし。もう抱えきれない位一歩も歩けない位辛いし、このブログ読んでるお前に勝手に押し付けたるわガハハハハ!みたいな気持ち。辛い。もう無理、全部無理。無理。後悔なんてこれっぽっちもない。決然と生きたい。ギリギリまで生き続けたい。これらはガチでリアルな気持ちだけど、決然と生きるだなんて、それはあまりに遠くにある目標すぎて、近くに何もなくて痛む足に必死で気付かない振りをして歩いてなんとか誤魔化してるのが現状だし、いい加減もうなんか疲れた。手を伸ばされるのを待っているなんてくだらないと思う。でも自分から手を伸ばす事が恐ろしくて出来ない人間は手が伸びてくるのを、抱きしめられるのを待つしかない。あほか。バカみたいだ。そうして手を伸ばされた他者に激しい嫉妬をする。それがたとえフィクションの中の存在者であったとしても。おーまーえーはーあーほーかー。無理です。だって羨ましすぎたんだもんだって私が欲しいけど与えられないものを全部全部与えられてたんだもんだってだって。それが彼が彼女らに与えた結果与えられたものだとしてもそれでも羨ましくて羨ましくてたまんなかったんだもんだってだって。恋愛で付いた傷は恋愛でしか治らないんだもんだってだって。辛い。このままじゃもう一生治んないよ。なんて悲観的に弱音吐いてる自分ばっかやろーキモ過ぎ!って咄嗟に思っちゃう自分を成敗したい。ちょっとくらい素直に正直に弱音を吐かせてやってよ頼むから、過剰な自意識よ。

 

露悪的に生きたい。のであえて露悪的に書いた。もうしるかばか生きるわあほ。辛い。

 

 

 

 

 

 

諸々だよねっていう話

 

今日は授業の後でバイトに行った。

 

特にブログを書こうと思うような特筆すべき事は起こっていないのだけれど、今日は久々に時間もあるし、最近の諸々についてのブログを書こうと思った。

 

七月は労働月間にした。バイトと勉強で日常を埋め尽くして、我慢できるレベルのストレスと引き換えに諸々の事について考えないようにしている。これがなかなかよろしくて、忙しさに埋没してバイトと勉強以外の事を考えなくなるので精神衛生に非常によろしい。でも、諸々について考えないという事がよい事だとは全く思っていなくて、問題を先送りにしているだけだと分かっているので少し焦燥もしている。

胃潰瘍はだいぶ良くなっていると思う。食欲も回復してきた。薬は真面目に飲んでいる。

よく夢を見るようだ。ようだ、というのは夢の内容を全く覚えていないからそうとしか言いようがないというだけで、ただ夢の中で、この夢はこれ以上見てはいけない、起きなければと強く強く念じている事しか覚えていない。そしてびくりと体を震わせて覚醒するとハアハアとみっともなく息を切らしている。どんな夢だったんだよちょっと気になると思うが、内容は忘れた方がいいのだろう、多分。

恋人が欲しいとか、そういう類の事を最近思う。恋人が欲しいなんて思うとか、26年間の人生の中で初めてで、正直よく分からないし戸惑っているが。多分こういうのも悪くないんだと思う。しかし、ただ言ってるだけじゃだめだよねと思う。行動が伴っていない。よろしくない。でも諸々恐ろしいのでどうしたものかなという感じである。困ったものだ。

忙しくして考えないようにしているけれど、それはそこに潜んでいるので、一人でいると偶に膝から崩れ落ちそうになるような感覚になる。誰かに支えてもらいたいと思いつつ、きっと誰もいないと思ってしまうのでどうしようもない。これ以上一人で立っていられないから恋人が欲しいとそういう類の事を考え始めた可能性が高い。全くもって最低な理由である。

最近蒸し暑くて堪らない。元来暑さに弱い汗っかきなので汗がノンストップになる。汗をなるべくはやく引かせるために近くのコンビニで配っていたうちわを持ち歩いているが、扇子の方が見栄えがいいと思う。どうも鞄から団扇を取り出すのと扇子を取り出すのとでは雲泥の差があるような気がするのは私だけか。なので今度百均かどこかで扇子を買おうと思う。

暑さといえば文句を一番言いたいのは化粧崩れについてである。暑いと汗をかくし、汗をかくと化粧が崩れる。ほんとどうしてくれるんだと言いたい。ふざけている。この太陽めが、と天を睨みながら、今日もまたテクテクとコンクリートの道を歩く。

 

 

 

 

 

 

病院に行ったよっていう話

 

今日はイエロースムージーを飲んだ。

 

昨日胃カメラを飲んだ。一年のうちに二回も胃カメラを飲むとはどういうこっちゃという感じだが、結果として胃潰瘍だったわけで、変なの。日曜の夜に血を吐いて、月曜病院に行って、昨日遂に胃カメラである。六月上旬から胃腸の調子は悪かったし、お腹は痛かったし、ここ五日くらい実は血便(異様に黒かった)が出ていたし肩甲骨の辺りがずっと痛かったので、なるほどそれらは全部胃潰瘍のせいだったかあと思っている。原因が分かると安心するのは人の性か。

胃のなかを綺麗にするらしい薬を飲まされ、麻酔の薬を二分間喉に含まされ、飲み込む。非常にまずい。その後でスプレーの麻酔薬を何度か喉の奥にかけられ(個人的にこれが一番つらかった。喉に染みて痛いし咽そうになる)、胃の動きを抑える薬を注射され、最後に鎮静剤を腕に打たれ、10秒後に気を失う。脳が柔らかい暗幕に素早く包まれていくような感じだ。約一時間後に目を開けると寝た状態で知らない天井を見ている。終わり。胃カメラ検査の最中で苦しくて一回起きた気がする。正直あまり覚えていないけれど、苦しむ私の背中を看護師さんが何度もさすってくれて、その優しさがとても嬉しかった事は比較的鮮明に覚えているので、多分一回覚醒したんだろう。検査の後、鎮静剤の影響でふらつく脳と身体で何とか歩いて、先生の説明を受けに行く。自分の胃の写真がPCの画面に何枚も映された。グロテスクな情景が広がっていた。自分の胃の中なのだが、他人事みたいに顔を顰めてしまった。去年見たツルツルつやつやのピンク色の胃はどこかに行ってしまったようだった。先生は簡潔に「胃潰瘍やね」と仰られ、それから色々と説明を受けた。そこまでは酷くはないと言われ、ほっとしたのもつかの間、「でも胃潰瘍やからね」と先生に真顔で言われ、完治までは二ヶ月かかると言われた。何じゃあそりゃあ…という感想。二ヶ月もかかるんだあ困るなあと思ったが、「でも薬飲んだら絶対に治るから」と述べる時の、先生の力強い言い方に安堵した。絶対大丈夫だよの力を感じた。祝福だ。

血を吐いた時の恐怖は、一瞬本気で死を覚悟したくらいだった。二回に分けて吐いたのだが、一回目は見なかったことにしようと咄嗟に思った。気のせいで片付けられない色だったのに、気のせいでしょと言い聞かせ、トイレから出て行ったのだが、十分後また吐いた。便器のなかは全面赤茶色だった。流石に二度も血反吐を吐けば流石にコレやばいわと思い始める。思い始めて、まだ死にたくないと強く思った。私は86歳まで生きるんや、病院行かないと!という訳で、次の日病院に駆け込んだ訳であるが、迅速に病院に行ってよかったと思う。結果として血反吐を吐いてよかったのだろう。アレがなかったら、いつもの胃痛だと思って病院には行っていなかった。胃に完全に穴が開く前に行ってよかった。まだ窪みだからね。

それから薬を一か月分処方され、大日本住友製薬の『胃・十二指腸潰瘍といわれたのですが』というブックレットを貰った。家に帰って、ブックレットをフムフムと読む。十二指腸潰瘍は比較的若い人に多く、胃潰瘍は中年以降の人に多いです、と書かれていて笑った。私は中年だったか。原因はストレス・過度のアルコール摂取・抗生物質等によって胃内の防御因子のバランスが崩れる事、また最近はピロリ菌との関連性が大きくクローズアップされています、とあった。どう考えてもストレスかピロリ菌しか考えられないわけだが、ストレスね、まあ…多大にあったわよねだし今もあるわよね…という感じだ。そんなこんなでストレスに敗北してしまったっぽいので、非常に癪である。まさに「口では強がっていても…身体は正直だな?(イケボ)」状態である。ムカつく。実際、諸々の傷付いた事や哀しかった事や苦しかった事や諸々の罪悪感に関して日常そこまで考えないようにしようと努めていたのだが、やっぱりかなり苦しんでるんですねえなどとどこか他人事のように捉えている。他人事のように捉えないとそれに囚われてしまう。我が事ながらまあ頑張って生きろとしか言えない。

とにかく出来るのは薬を真面目に飲む事と、消化に良いものを食べ、なるべく刺激物を摂取しないという事だけだ。コーヒーを暫く飲めないというのが一番辛い。はやくよくなりたい。はやく健康になりたい。はやくはやくと急かしてもよくはならないのだから、仕方ないのだけれど、もう不健康は沢山だ。もういい加減うんざりだ。超健康とまではいかなくていいから、人並みに健康になりたい。普通になりたい。体調に関してだけは、普通になりたい。生まれつき身体が弱いから、多分無理だけど、それでも、健康になりたい。財布を膨らます診察券なんて全部燃やしてしまいたい。そんな感じで私の胃は今非常にグロい事になっている。それは凹んだ腹に手を当てても分からないけれど、事実だ。自分の事なのに他人事のようなグロテスクな胃の中の潰瘍。変なの。