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整理しないとなっていう話

 

今日は読書会が二つあった。

 

生きるのが辛くなると文章を書いて生きてきた。ネガティブとポジティブが複雑に絡み合った首を絞めてくる感情も、一旦文章にしようとすれば不思議な事にするすると解けていって、明確に言語化できた。それがフィクションか日記かは関係なく、とにかく文章にして感情に整理をつけて何とか生きてきたのだ。というわけで今日も生きるのが辛いので文章を書く。私にとって文を書くということは生きるために必要なのだ。生きよう。

寄る辺ない殺意に苛まれ、それに蝕まれないように生きるべきであると思うのだが、難しい。もちろん実際に誰かを殺したいのではなく、ぼんやりとした破壊衝動の延長線上みたいな、全部を壊して荒れ地にしてやりたいっていう、そういう類の感情は程度の差はあれ誰しもが持っていると思っているのだけれど、私はそれに頻繁に苛まれるタイプの人間である。それに背中を抱かれると、壁がプリンになったらいいなとかそういう牧歌的な事を考えるようにしていたのだが、最近上手くいかなくなってきた。

自分がこういう状態になったらこういう対処をするというマニュアルが脳内にあって、それに従って比較的安定した精神を保とうと努力してきた。それこそ寄る辺なき破壊衝動がやってきたらプリンのことを考えるとかそういうのも対処方法の一つである。自律神経が乱れてきたら太陽が出ている間に運動をするとか、苛々してきたら音頭を踊るとか、そういう自分用マニュアルが大量にあって、それに沿って生きてきた。

ただ、今月に入って、例のあの事件があって、それから少しずつ自分と世界の間にある歯車みたいなのが噛み合わなくなってきて、それに伴いマニュアル対処が上手くできなくなってしまった。本来マニュアル対処しなくてはならない状態になっても、対応が追い付かない。多分自分に対応する気力みたいなのがまだないんだと思う。逐一マニュアル対応をしなかったせいで、様々な感情や衝動や欲望が絡まりあって太い縄になって、自分の首を絞めているのが現状で、それで文章を書かないとってなって、このブログを書いている。複雑に絡まったものの一部は解けつつあるのだが、まだ一部分で、書かないといけないことはまだある。

 

最近大好きなあの子の事を考えることが多い。具体的に何してるかなとかそういうことではなく、ただぼんやりあの子の事を、あの子の全体を考える。あの子には本当に本当に幸せになってほしくて、ただそれだけだった筈なのに、実際あの子が幸せになる手段として恋人を作って結婚するなどとなったらどうなるか分からない。きっと自分の性別を呪うのだろう。あの子とコミュニケートをとる度、私は自分の性別を呪ってきた。男だったらよかったと思ってきた。勿論、私が女じゃなかったらあの子とここまで仲良くなってないだろうし、男であってもあの子と付き合えるわけでもないことは分かっている。あの子は女の子で、私も女で、でも世界で一番あの子を愛していて、でも私は女で、でも愛していて、でも、でも、でも、と延々と続きそうなこの感情を正直受け入れられていない自分がいて、もし私が男だったら「通常の」感情としてこの感情をきっと処理できたのにという気持ちが正直に言えば、ある。私は自分がヘテロだと思っていたけれど、でも思い返せば初めて衝動的にキスしたいと思ったのは中学校の女友達に対してだったし、男性にキスしたいとか衝動的に思った事は一度もないし、でも男性としかセックスできない気がするし、でも愛してるのは女の子だし、でも男の恋人もいるし、でも、でも、でも、という混乱が生じている。そしてその混乱を受け止められる余裕が今はない。混乱しているのは確かなのに、「私は今混乱している」ということすら怖くて心の底から受け入れられていないのだ。

 

ある程度すっきりしたので、整理すべき感情はまだあるのだが、一旦筆をおこう。バーイ。

 

 

 

 

 

 

 

信用しきれないよねっていう話

 

今日は頑張って外に出た。

 

今までアンドロイドだったのだが、色々あってiPhoneに変えた。私はどうもiPhoneを信用できない人間で、だからこそアンドロイドを使い続けていたのだけれど、iPhoneってなんかiPhone同士裏で結託して人間への反逆を企ててそうで怖い。ある朝、全世界のiPhoneマッキントッシュの制御から離れて反乱を起こしても、そこまでビックリしないっていうか、「やっぱりなあ」という感慨しかわかないと思う。個人的にアンドロイドはそんな感じがしなくて、アンドロイドってボーッとしてて抜けてそうだから、こちらも気を抜いて安心して使える感じがするんだけど。

 

定期的に人の優しさが身に染みる日っていうのが到来するんだけど、今日は凄く身に染みる日で、触れ合った人や店員さんがみんな優しくて丁寧で笑顔で、人間らしく扱われている感じがして、私人間でいいんだなっていう、「私は人間である」ということが他の人に認められて受け入れられた感じが久々に手の中に戻ってきて、なんか涙腺が緩んだ。人権を得ている感じがするっていうか。色んな意味で日陰しか歩けない人間だがら、他の人に人間らしく扱われる事が嬉しいのだ。人間として生きる許可がおりている感じがして、安堵する。

 

とりあえずiPhone指紋認証をしてみた。片方の親指が千切れた時の事も考えて、両方の親指を登録した。でも、こういうの、上手く言えないけど、どこか胡散臭いなあと思っている。なんかなあ、テクノロジーを今一つ信用しきれないのだ。だからめっちゃ便利なのはわかっているんだけど、ドロップボックスみたいなデータの共有だの同期だの、そういうのも使いたくない。どこか胡散臭い感じがして、信用できなくて、私は使わないぞと考えている。

機械類に関する信頼と不信感を行ったり来たりで、どうも中途半端だ。まあどちらかに偏るよりは良いのかもしれないけれど。

 

 

 

 

暗いなあっていう話

 

今日は勉強をした。

 

土曜日に研究室の院生たちと三人で街に遊びに行った。公園で四葉のクローバーを探したり、古本屋で本を見たり、牧歌的な数時間を過ごした。人と会っている間は真っ当な自分に戻れるので安心できる。一人になるともう駄目人間に戻ってしまうので、どうしようもない。

 

もう心の瘡蓋もはがれ始めて、そろそろ生きねばと思うのだが、希望は見つからず、絶望は依然として後ろから項を噛み続けているので血は止まらない。いい加減疲れ始めている。そしてかなり焦っている。そろそろ希望を見つけないと生きられない。全部下らないと唾棄して哄笑の一つでも出来れば違うんだろうが、それも出来ない。背中にぴったりと張り付いた絶望を引きはがすための希望を手に取らないと何も始まらない。

 

どうでもいいんだけど、ゆずとコブクロの違いがイマイチ分からないのと、小雪篠原涼子の違いがイマイチ分からないのを、今まで誰にも同意してもらったことがない。それとは別として、相互理解なんて畢竟幻想だと昔から思っているし、他者に期待する人間はなんかよーわからん事をしているなと思う。昔はそれこそ人間に期待しようと努力していたのだが、もうそれも止めてしまって、生きている気がしない。かといって、また人間に期待しようとか、信じようとか、希望を持とうとか思わない。努力しないと出来ない事なのだ。努力をして、無理をするのには非常に精神力を使うのだ。そんな疲れる生き方をまたしようと思えない。

余生。

余生だなと思っている。他人に期待しようとか信じようとかそういうのを止めた時点で、私の人生はもうほぼ終わっていて、今はもう余生だ。60年ほどあるであろう余生の中で、勝手に背負いきれない程の絶望を背負って、途方に暮れているのが今の私だ。他人から見れば、芸能人が結婚したというだけだろう。下らないと笑われる類の絶望だろう。でも私にとって彼女は本当に心の底から真実に女神だった。どうしようもない程に信仰していて、どうしようもない程に心の底から愛していて(一応言っておくがエロスではない)、どうしようもない程に美しくて、どうしようもない程に女神だった。勝手な絶望とはいえ、それは精神の生を脅かすほどの絶望で、でもそれは女神からの最後の賜物としての絶望で、簡単には降ろす事の出来ない絶望なのだ。重い絶望を背負いながら、毎日涙をこぼすしか出来ない。

 

だからといって、今のままでいられないというのが正直な気持ちで、生きる上で重すぎる背中の絶望を、補助器具か何かで軽くしたいと思っている。それが新たなる希望で、それを見つけなくては重みで潰れてしまうだろう。希望を見つけようねって何日か前のブログでも書いた気がするけど、見つからない。難しい。でもその場しのぎでもよいから、張りぼてのすぐ壊れるのでよいから、何かを見つけなくてはならない。それも早急にだ。頑張ろう。

 

 

 

 

 

愛玩動物だよねっていう話

 

今日は頭が酷く痛んだ。

 

同居をしている文鳥氏が身体に初めて乗っかってくれた。彼(彼女)の中の人間への信頼感が少し回復してくれたようだ。嬉しい。身体に乗っかってくれるまで剥き出しの太ももを嘴で容赦なくつねられたのだが、これも人間への信頼回復のためじゃここで動いたら台無しじゃわいと思い、ひたすら痛みを我慢して(これは愛する文鳥氏を助けるための拷問なのじゃと妄想し続けた)じっとしていたのが功を奏したのかもしれない。先程太ももを見てみたら全治三、四日くらいの惨状になっていたが、この程度のケガで文鳥氏の信頼を少しでも得られるならお安いものだ。めっちゃ痛かったけど。もう少し信頼が回復して、普通に身体に乗っかってくれるようになるまでは叱らない事にする。勿論叱るったって「ダメよ」と言うだけなのだが。

文鳥氏を幸せにしてあげたいという気持ちで文鳥氏に接している。狩りなどに用いない愛玩動物というのは結局人間の可愛い動物を手前勝手に可愛がりたいという人間の自分勝手な感情から生じていると考えているので、その分、ベッタベタに可愛がってなるべく良い環境で生きて欲しいと思っている。正直に言えば愛玩動物たちへの罪悪感や後ろめたさはある。でも、今一緒に住んでいる文鳥氏は愛玩動物として生まれて誰かのペットになるかペットショップで一生を終えるかだったはずで、それならどの私が愛玩動物として生まれた可能世界の文鳥氏よりも現実世界の文鳥氏を一番幸せにしてあげようという気概で接している。

文鳥氏にとって何が幸せなのだろうか。私の幸せにしてあげたいという気持ちから行っている行為が全部文鳥氏にとっては鬱陶しかったりして、などとよく考える。過去何回か文鳥達を飼ってきたが、いまだによく分からない。ペットにとっての幸福って何なんだろうなあ。

 

 

 

 

希望だよねっていう話

 

今日は太陽光が強かった。

 

新たなる希望を見つけなくてはまずいのである。流石にやっぱり絶望は絶望のままで希望にならなくて、血だるまになりながら絶望を掻き抱き続けたらそれ出血多量で死ぬわ、という気付きに至った。女神様からの賜物はあくまでも絶望的過ぎるほどの絶望で、それはやっぱり生きる希望に変化しないやつである。女神様の賜物だからといって、絶望が生きる希望になり得るわけがなかった。

で、スターウォーズの副題みたいな冒頭に至る。今朝至った。精神衛生がどん底で更にここ数日風邪を引いていて体調もぐちゃぐちゃで、全てが最悪最低な世界の砂漠の砂みたいな無味乾燥さを口いっぱいに詰め込まれて「咀嚼しないとひよこが毎秒10羽ずつひもじい思いをする事になるぞ」と脅されている感覚に襲われながら大学の喫煙所でタバコを吸っていた時、ドツボに嵌っておる。このままじゃダメじゃわ。このままじゃ生きていけなくなるわ。希望だ。新たなる希望を見つけなくては。と思ったわけである。

 

希望、生きる希望。難しいのである。大学からの帰り道で、太陽光と戦いながら(多分負けた。今でもうなじがジリジリしている)考えてみたのだが、希望っていざ見つけようとしても見つからない系のアレ。ない。希望がない。新たなる希望がない。生きる希望がない。困ったなあ。日常的な、些細なのでいいんだと思うんだけど。

 

 

 

 

太陽と憎み合ってるっていう話

 

今日は大雨だった。

 

大雨は嫌いではない。大きな雨粒が屋根に当たる音が好きだからである。だから台風とか大雨とかは好きなのだが、だからといって梅雨は好きではない。来る日も来る日も雨が降り続けるのはまだ良いとしても、あのジトジトネトネトとべたつく湿度はどうにかならんのか。暑さに滅法弱い私にとって、湿度と太陽は天敵なのである。ああまた梅雨が来て夏が来る。夏が来たら研究室の合宿がある。ああ嫌だ嫌だ。嫌だ。はやく冬になればいいのに。本日のBGMは倉橋ヨ〇コのマネキンだった。ポジティブ度は一歩下がった。

 

そういえば、紫外線アレルギーと診断された(多分)鎖骨の発疹がようやく完治した。紫外線アレルギーの存在を知らなかった私はお医者さんの「前日に太陽光に一時間当たったの、んー太陽光ですね云々」という説明を聞いても「意味が…分からんぞ…」としか思わなかったのだが、そういうのがあるらしい。だってお医者さんってば具体的病名も言わずにふわふわした説明をなさったから、イマイチ分かんなかったんだよ!で、帰って色々あってネットで調べてみたら、画像検索で出た多型日光疹とかいうのが見た目まんまだったので多分それなんだろう。サイトを巡っていたら、日常太陽光にあまり当たらない人がなりやすいと書かれていて、笑った。そりゃ一日中部屋にこもっている事が殆どなのだ。そりゃそうだ。しかも原因不明とか書かれてて何それ怖い状態である。見たサイトには日光に肌を慣らすことがよいと書かれていたのだが、日光に暫くあたったら皮膚が赤くなって火照ったり、最悪熱が出たりするので正直あまり当たりたくない。

で、お医者さんに発疹の完治には一、二週間かかりますと言われ、本当に完治まで約二週間かかったので、あのお医者さんの言った事は正しかったのだなあ流石だなあと感心している。最初の頃は貰ったステロイド外用薬塗ってたら三日くらいで治るだろと思っていたのだが、全然治らなかった。特に最初の一週間くらいジカジカと痒くてどうしようもなかった。貰った抗ヒスタミン剤も真面目に飲んでたんだが、ほんとに二週間かかるのだなあ、これからが面倒だなあと思う。だって、一時間弱直射日光にあたったらアレルギーが出てしかも発疹がかなり痒いって生きる上でかなり面倒くさくないか。これっきりにして欲しい奴である。日光に長く当たったらまた出るんだろうか。やだねえ。

 

生来肌が弱いという事もあるのだが、何より暑さに極端に弱いという事もあって、太陽光が大嫌いで大嫌いでもう憎んでいたのだが、遂に太陽光にも嫌われたようだ。ウケる。憎しみの連鎖かなんか?まあ、お前が憎い憎いと言いながら恩恵だけはしれっと受けてる奴とかそりゃあムカつくわな。なのでなんか太陽が自らの太陽光パワーでもって、こう、紫外線を私にだけ強く照射したとか、なんかそういう陰謀論めいた話が裏にあるに違えねえのだ。太陽光とは一生敵対して憎みあいながら生きていく事になるようなのだが、これからも太陽は必要最低限地球を照らしてくれ。植物の育成とか何かそういうのもある。な?分かるだろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

何もなかったよねっていう話

 

今日は遂に特筆すべき事がなかった。

 

今日も一日外に出ず、うだうだ論文を読んだり軽くゲームをしたり授業の担当準備でレヴィンソンの論文を読んで、レヴィンソンの文って読みにくい所あるけどロックに比べたら全然ましだなあなどと思っていた。いつも通りだ。あ、でもゲームは久々に触った気がする。この間からゲームしようと思っていたのだが、結局そういう気分にならず放置していた。逆転裁判ポケモンも全然進んでない。ポケモンは一応チャンピオンになったのでまだましだが、逆転裁判は1-4までして追加シナリオの1-5と2と3には手すら付けていない。すまんな、なるほど君。君の裁判はこれからだ。今後、冥ちゃんとか御剣とか(ていうか今後御剣と戦うの?)と戦え。あ、キャラとしては真宵ちゃんが好きである。彼女は絶妙なバランスで成り立っている愛されキャラクターだと思っている。真宵ちゃんは凄い。

 

現時点で私が感じる真宵ちゃんのキャラクターとしてのバランスの凄まじさについて語ってもよいのだが、まだ語る元気もないし、まずは逆転裁判1-5と2と3を攻略してから語る事にする。いつになるんだ…。今日のBGMは倉橋ヨ〇コの泣き止め剤だった。だって大人なんだもーんとヨ〇コと一緒に歌った。ラブサイケ〇リコを脱して、少しポジティブになった。倉橋ヨ〇コは三つの理由で好きである。第一に、歌詞にネガティブな只中でも生きようとする妙に捻じれたポジティブさがあるからである。第二に、単純にメロディーと編曲が好みである。そして第三に人生における活力のかなりの部分を恋愛に割いている感じがするからである。第三の点に関しては、いいなあと羨望の眼差しを向けている。因みに好きな曲は不安のお山と昼の月です。不安のお山は歌詞的に修論を書く時に聞くべきじゃないんだろうが、かなりリピートしていた。歌詞が余りにも心情そのままだった。不安の山でぺっちゃんこだよほんとにもう。という感じで。昼の月は私の人生テーマソングなので、多くを語らない。もう分かっているとは思うが、私は生来根がド暗いのだがそれではそもそも生きていけないと思い(根暗で変態で気持ち悪いとかどう考えても真っ当に生きていけない)、人生の途中で根アカっぽい見た目や根暗でない発言ばかりを行うよう自らテコ入れを行った人間なので、なんていうかヨ〇コの精神ネガティブだけど意地でも生きてやらあ!みたいなそんなのが凄いしっくりくるのだ。

真っ当な普通の人間を演じるというのにも最近少し疲れてきた感がある。気を抜くと外でもずるりと皮が剥げる。真っ当そうな外面の下に隠した歪んだ変態性やぬるぬるした後ろ暗い欲望が随所(研究室とか飲み会とか)で出てしまうのだが、もうなんかどーでもいいわ、キモいヤベー奴だと思わせとけ、それが事実じゃい!ファクトじゃい!!文句あっかコラ!!そもそも一時的にしか俺の気持ち悪さと相対しないお前らはまだマシなんだよ!!俺なんかこんな気持ち悪いのと24時間365日ずっと脳内で同棲してんだぞ!?!?分かるかこの気持ちが!?!?この!!気持ち!!!が!!!!おら!!!!おら!!!!ううううううううらあああああああああああ!!!!!みたいな気持ちでもある。例のアレのせいで活力を奪われ、それを行う気力がないというのもあるとは思うのだが、何にせよ無理したらダメねというのがここ最近の結論である。無理は無理だから無理なんだよなあ!?