病院に行ったよっていう話

 

今日はイエロースムージーを飲んだ。

 

昨日胃カメラを飲んだ。一年のうちに二回も胃カメラを飲むとはどういうこっちゃという感じだが、結果として胃潰瘍だったわけで、変なの。日曜の夜に血を吐いて、月曜病院に行って、昨日遂に胃カメラである。六月上旬から胃腸の調子は悪かったし、お腹は痛かったし、ここ五日くらい実は血便(異様に黒かった)が出ていたし肩甲骨の辺りがずっと痛かったので、なるほどそれらは全部胃潰瘍のせいだったかあと思っている。原因が分かると安心するのは人の性か。

胃のなかを綺麗にするらしい薬を飲まされ、麻酔の薬を二分間喉に含まされ、飲み込む。非常にまずい。その後でスプレーの麻酔薬を何度か喉の奥にかけられ(個人的にこれが一番つらかった。喉に染みて痛いし咽そうになる)、胃の動きを抑える薬を注射され、最後に鎮静剤を腕に打たれ、10秒後に気を失う。脳が柔らかい暗幕に素早く包まれていくような感じだ。約一時間後に目を開けると寝た状態で知らない天井を見ている。終わり。胃カメラ検査の最中で苦しくて一回起きた気がする。正直あまり覚えていないけれど、苦しむ私の背中を看護師さんが何度もさすってくれて、その優しさがとても嬉しかった事は比較的鮮明に覚えているので、多分一回覚醒したんだろう。検査の後、鎮静剤の影響でふらつく脳と身体で何とか歩いて、先生の説明を受けに行く。自分の胃の写真がPCの画面に何枚も映された。グロテスクな情景が広がっていた。自分の胃の中なのだが、他人事みたいに顔を顰めてしまった。去年見たツルツルつやつやのピンク色の胃はどこかに行ってしまったようだった。先生は簡潔に「胃潰瘍やね」と仰られ、それから色々と説明を受けた。そこまでは酷くはないと言われ、ほっとしたのもつかの間、「でも胃潰瘍やからね」と先生に真顔で言われ、完治までは二ヶ月かかると言われた。何じゃあそりゃあ…という感想。二ヶ月もかかるんだあ困るなあと思ったが、「でも薬飲んだら絶対に治るから」と述べる時の、先生の力強い言い方に安堵した。絶対大丈夫だよの力を感じた。祝福だ。

血を吐いた時の恐怖は、一瞬本気で死を覚悟したくらいだった。二回に分けて吐いたのだが、一回目は見なかったことにしようと咄嗟に思った。気のせいで片付けられない色だったのに、気のせいでしょと言い聞かせ、トイレから出て行ったのだが、十分後また吐いた。便器のなかは全面赤茶色だった。流石に二度も血反吐を吐けば流石にコレやばいわと思い始める。思い始めて、まだ死にたくないと強く思った。私は86歳まで生きるんや、病院行かないと!という訳で、次の日病院に駆け込んだ訳であるが、迅速に病院に行ってよかったと思う。結果として血反吐を吐いてよかったのだろう。アレがなかったら、いつもの胃痛だと思って病院には行っていなかった。胃に完全に穴が開く前に行ってよかった。まだ窪みだからね。

それから薬を一か月分処方され、大日本住友製薬の『胃・十二指腸潰瘍といわれたのですが』というブックレットを貰った。家に帰って、ブックレットをフムフムと読む。十二指腸潰瘍は比較的若い人に多く、胃潰瘍は中年以降の人に多いです、と書かれていて笑った。私は中年だったか。原因はストレス・過度のアルコール摂取・抗生物質等によって胃内の防御因子のバランスが崩れる事、また最近はピロリ菌との関連性が大きくクローズアップされています、とあった。どう考えてもストレスかピロリ菌しか考えられないわけだが、ストレスね、まあ…多大にあったわよねだし今もあるわよね…という感じだ。そんなこんなでストレスに敗北してしまったっぽいので、非常に癪である。まさに「口では強がっていても…身体は正直だな?(イケボ)」状態である。ムカつく。実際、諸々の傷付いた事や哀しかった事や苦しかった事や諸々の罪悪感に関して日常そこまで考えないようにしようと努めていたのだが、やっぱりかなり苦しんでるんですねえなどとどこか他人事のように捉えている。他人事のように捉えないとそれに囚われてしまう。我が事ながらまあ頑張って生きろとしか言えない。

とにかく出来るのは薬を真面目に飲む事と、消化に良いものを食べ、なるべく刺激物を摂取しないという事だけだ。コーヒーを暫く飲めないというのが一番辛い。はやくよくなりたい。はやく健康になりたい。はやくはやくと急かしてもよくはならないのだから、仕方ないのだけれど、もう不健康は沢山だ。もういい加減うんざりだ。超健康とまではいかなくていいから、人並みに健康になりたい。普通になりたい。体調に関してだけは、普通になりたい。生まれつき身体が弱いから、多分無理だけど、それでも、健康になりたい。財布を膨らます診察券なんて全部燃やしてしまいたい。そんな感じで私の胃は今非常にグロい事になっている。それは凹んだ腹に手を当てても分からないけれど、事実だ。自分の事なのに他人事のようなグロテスクな胃の中の潰瘍。変なの。

 

 

 

 

 

 

せめて私くらいは、自分の生を呪いじゃなく祝福で満たしてあげたい

 

今日も体調が悪い。

 

火曜からずっと体調が悪くて、どうもよろしくない。明日はまとめ買いしたハイスクールD×Dを読みながらじっとしていようと思っているけど、治ったらうれしい。体調が悪いと精神もネガティブにペシミスティックになる。よろしくない。ポジティブでオプティミスティックな生を希求する。

 

言葉は寿ぎを紡ぎだすけれど、同時に呪いも生み出す。言葉による呪い、生きていたらきっと大部分の人が経験するであろう呪いは、脳髄に深く刺さってなかなか取れず、思考を歪めては人生を斜めに傾ける。その呪いを解く方法がイマイチ判然としない、というのが問題で、自然に抜け落ちるのを待つとか、そういうのしかない、多分。無理やり自分で引っこ抜いても、傷が化膿してもっと痛くなったりして、すんなり抜くことはどうしても出来ないから、よりベターなやり方が何であるのか、よく分からない。呪いは解けない。人生は傾く。真っ直ぐ何かを見ようとしても視界を歪めて何も見えなくする。

書きたい事は確かにあって、だから今ブログを書いているけれど、上手く書けているか自信がない。

どの言葉を選んだら正解なのか、どの表現を使ったらよいのか、いつもなら緩い縄目を解すみたいにするすると分かるのに、判断がつかない。

あの人は私が好きなんじゃなくてこの人にとって都合のいい私が好きなんだな、とずっと前から、ずっとずっと前から分かっていた。五分近く考えても言葉がこれ以上出てこない。書いては消し書いては消しを繰り返して、結局何も残らない。手元に何も残らない。漠然とした感情を書きたい書いて吐き出したいという欲求だけが脳を満たして溢れ出して身体を支配して暴走して、私から落ち着きと安寧を奪っていく。だから、よりよく生きるために、頑張って書く。今の感情をはち切れる前に全部吐き出して、私の生を呪いでなく祝福で満たすために、私は言葉で戦う。何を書くのか今の時点では全く決まってないし分からないけど、キーボードを打って、言葉を書く。何を書くべきか分からないけど、とにかく始めよう。あの人が都合のいい私が好きだとずっと前から分かっていたけれど、それでも我慢して諦めないといけないと、あの人にとって都合のいい私を極めようと、強く思っていた。だって私はこの人以外には絶対愛されない、だってお前みたいな奴は誰とも付き合えない、俺じゃないと、俺以外とは、誰とも、抱きしめられながら幾度となく囁かれて、ああそうなんだなとしか思えなかった。甘い愛の囁きだと思っていた。祝福だと思っていた。世界で一番愛されていると思っていた。彼にとって都合のいい私でも私に違いないから、私は確かに愛されていると思っていたし、それは事実だと思う。今でも。愛されていたと思う。当たり前じゃないか、だって我慢して諦めてあの人にとって都合のいいあの人に愛されるような人間でいたんだから、必死で愛されるようにふるまっていたんだから、そんなの当たり前じゃないか。分からない。何だったんだろう。怒ったら外でも家でもケータイをベッドや椅子に力に任せて叩きつけるあの男が、怖かった。怖かった。そうだ、最初、あの男が怖かった。怖かったから、怒らせないようにしないと駄目だと思った。怒らせないようにふるまったら、怒らなくなった。ケータイを叩きつけなくなった。これだと思った。私が我慢すれば、全部諦めれば、怒らないんだと分かった。避妊だって、してくれない時が、あったけど、でもそれでも我慢だ諦めないとと思って、してよって強く言ったら不機嫌になるって思って、バカみたいじゃないか、恐怖と隣り合わせで、子供が出来たらそれでいいじゃん出来ない出来ない大丈夫だってと笑って言う声と顔が、大学生のくせに、どうしても、それでも、怖くて、妊娠が怖くて、あの男に黙って秘密で何かい、産婦人科に行って緊急の避妊用ピルを貰ったのか、あの時の医者の顔、それ本当に相手は彼氏なのと呟いた声、空調の音、イス、もうよく分かんない、怖かった、全部怖かった、あの時の顔が、圧し掛かってくる理性の飛んだ顔が、怖くて、この人は私を愛してくれてるんだからって何度も心の中で呟いて、次の朝にはクロッチが精液臭い下着、バカみたいな青春、バカみたいバカみたいバカみたい、出かける時だって、私は人混みが苦手で、休憩を入れないとすぐぐったりしちゃうけど、私がぐったりしたらあの男は不機嫌になるから、頑張ってあるいて、でも体調の悪さは隠せなくて、結局不機嫌になって、だからって、どうすればよかったのか、何度言ったって、私は休憩入れないとすぐ疲れちゃうから適度に座って休んでもいいかなってごめんねって言っても、ダメだった、都合のいい私にも限界があって、何なのって、私の十年近い年月って愛って何だったんだろうって、ほんとに分かんない、傷付つけられた事実と、でもそれだけじゃない事実と、お前のような存在者に傷付く資格なんてないとあざ笑う呪いがぶつかって、どうしようもなくて、愛してくれて、救われた部分だって沢山あったのに、それすらもあの男は都合のいい私を愛していただけじゃないかという事実に汚されていく。傷付くな、怒るな、感謝しろ、寧ろ全てに感謝しろ、お前のような存在者と十年近くも付き合って下さっていたのだから感謝しろ、お前はもう誰とも付き合えない、誰にも受け入れられない、幸せにはなれないという呪いをはねのける事がどうしても出来ない。このままじゃ一生結婚なんて出来ない。嫌なことをしない人だってきっといるんだろうけど、私を受け入れてくれる人だってきっといるんだろうけど、心はそんな人間誰もいないという言葉で満たされていて、このままじゃ、前に進めない。甘い囁きが嘲笑が嫌な言葉全部が脳みそから取れない。呪いに骨の髄まで浸されて、しみついて、拭いても拭いても落ちない。でもきっと解けない呪いじゃない。そう思いたい。そう思うしかない。だってこんなの要らない。私だって寿ぎ、祝福が欲しい。私の人生だってちゃんとここにあるんだって、私の人生を私は大切にしていいんだって、ちゃんと分かったから、私の人生に呪いは要らない。欲しくない。私の人生をピカピカにしてあげられるのは私だけなんだから、だから、せめて、私だけは、私の人生を祝福してあげたい。あがいてもがいて泣いて苦しんだって、私は決然と生きるよ。

 

 

 

 

 

 

 

ぐるんぐるんびゅーっていう話

 

今日は眩暈が酷い。

 

ほんとひどくて、世界がここまでぐるぐる回るの久々で、寝てても座っててもぐるぐるしてるし、立ち上がるだけでよろめいてしまう。ぐるぐるして気分悪くて吐き気までするのは久々で、かなりひどいというのが所感。でもどんなに辛くても立ち上がって動けという高校の時に医者に言われた言葉を思い出して、頑張って立ち上がろうとして、生まれたての小鹿みたいな感じでよろめいては壁に寄りかかっている。自律神経の失調というのは寝てても治らなくて、むしろ辛ければ辛い程動き回らないとダメなので実に厄介である。

ここまでぐるんぐるんびゅーな世界を見ていると、体調悪くてどうしようもなくてじっと寝転んでいた高校生時代を嫌でも思い出す。あの頃は眩暈マックスで漁船の上みたいな感じで、車に乗ってないのに車酔いって感じで、起き上がる事も難しかった時期もあったわけで、なんというか、起き上がれるだけましっていうか、ふらついてこけかけても起き上がれるだけほんとましっていうか、私も強くなったよねハム太郎みたいな、そういう種類の感慨深さがある。何が原因か分かんなくて、メニエール病バセドウ病だと言われては色んな病院に行って原因が結局分からずにどうしようもなく人生ずっとこのままなのかしらなどと不安と絶望に追い詰められてたあの頃、空は灰色だった。まあ高3の途中で異様に酷い自律神経失調症だったと判明したわけで、それでひどく安心して、そこからなんとかかんとか這い上がってここまでこれたわけだけど、ほんとにお疲れ様という感じだ。身体の弱さというのはほんとにいいことなくて、悲しいし辛いことばっかなので、健康ほんとに大事だよなというザコい感想を抱きつつぐるんぐるんびゅーと回る世界を見つめて生きている。回っている。すごい。車酔いの時みたいに、喉の奥が気持ち悪い。最近は胃腸の弱さがやばいので気を付けたい。ほんとザコい。

 

 

 

 

 

絶対全部諦めない

 

 

今日は空が青い。

 

 

絶対この手の中に握りしめていないといけないものを適当にぶらぶらさせて、そのままなくしちゃうかも知れないというのに、よく笑っていられるものだ。椅子の並んだ広い広い部屋に響く人間達の笑い声は、状況に似合わずとても牧歌的で、あの人たちは自分たちのしようとしている事が何なのか、きっと分かっていない。しようとしている事が、作り出そうとしているものが、どれだけ危険で恐ろしい結果を可能性として孕んでいるのか、きっと分かっていない。バイクに乗ったひったくりに大事なものを奪われてからじゃ遅いんだよ、適当にぶらぶらさせて持っちゃだめだよ、奪われないようにしっかり手に握りしめて離さないようにしないとだめなんだよ、という私の考えは今風ではないんだろうか。私がずっと欲しくて欲しくてたまらなくて、ようやく手に入れた大事な大事なそれは、他者にとっては軽く蹴飛ばせるような比較的どうでもいいものだったのだろうか。束となった複数の笑い声がイヤホンを通して聞こえてきた時、私は辛くて悲しくて悔しくて死にたくなった。一瞥もされず複数の足に踏みにじられた気持ちは地面にバラバラに散らばって、絶望感と無力感に打ちひしがれた。泣くしかなかった。

 

決然と生きようと誰かが囁く。

絶対全部諦めない。大事なそれも人類愛も哲学も恋もペットの幸せも私の幸せも、全部諦めない。本当に大好きで本当に大事な人やものを、もしひったくりに掴まれたとしても、絶対手放さない。死んだって手放さない。私は決然と生きると決めたのだ。せっかく手にした大事なものをまた奪われてたまるものか。絶対に誰にも触らせない。私の大事なキラキラ達を穢れた手で触って蹂躙しようとする奴らは許さない。隣人の肩に沢山ぶつかってでも頭から血を流してでも、キラキラだけは死守しないといけないのだ。私の人生のキラキラだけはぎゅっと握りしめていないといけないのだ。だから絶対に全部を諦めない。絶対に全部全部全部諦めない。

さあ、今日を生きよう。

 

 

 

 

 

 

 

婚活難しくね?っていう話

 

今日は頑張ってお風呂に入った。

 

メンタルは回復しつつある。まあそもそも生きる欲求だけは人一倍強い個体だから自分についてそんなに心配してなかったんだけど、しかし酷いブログを書いたものだ。恐る恐る読み返したのだが一通りドン引きした後、あまりのひどさに笑った。色々、文章も内容もそこから透けて見える精神状況も、全部がひどくって、もう笑うしかないってあんなの。あれは記念碑的な感じで残しとこうと思う。多分あんなに酷い状況は十五年に一回とかそのレベルだろうし。めったにないわ。経験的推論よ。

 

結婚はしたいので、婚活について調べた。金がかかるなあというのが第一印象で、つまり結婚相談所とかそういうのに登録するとなると登録料とか月額料金とか結婚決まった時のお礼だとかそういうのを払わなくてはならないので、大量にお金が飛んでくらしい。こりゃバイトしてお金貯めないとだめだわねと思った。で、その後婚活アプリというアプリの存在を研究室の後輩に教えてもらって、へえと思ってインストールしてみた。研究室のWi-Fi使った。ごめんなさい。不正使用じゃないから謝る必要もないけど、なんとなく。

さくっとインストールして、アプリをタップする。最初に身長だとか体型(痩せてるか標準かとかグラマーかとかぽっちゃりかとかそういう判断難しいの)だとか年齢だとか職業(一応大学院生というのはあった)だとか住んでる場所だとかを入力したのだけど、この時点でもうかなり萎えてた。めんどい。だっるい。そもそも個人情報を入力するというのが嫌だ等と管を巻きながら何とか入力し終わり、はあどーにかなったかなと思ったら自己紹介欄を入力しましょうと来たので死んだ。精神が。自己紹介が苦手なのである。大学での自己紹介なら大好きな自分の専攻について話せばどうにかなるんだけど、そういう訳にもいかない。婚活なんだから。曲がりなりにも、戦いなんだから。しかし趣味とか読書やお絵かきやアニメ鑑賞位しかなくて、全然キラキラしてない。これやべえなと流石の私でも思ったレベルなので多分ヤバい。他の女性の自己紹介を参考として見ることが出来たので色々見たのだが、皆さんヨガやピラティス岩盤浴等のキラッキラしてる趣味を書いてて、その時点でもう敗北してる気しかしない。そういう女の人のキラキラの前には跪くしかない根暗オタク女なのである。こんばんは、元気ですか?私はそんなに元気じゃない。で、しばしの間沈思黙考、私などもピラティスという謎の体操(?)を始めなくてはならぬのか?と一瞬考えたが、別にピラティスやったからって結婚できるわけでもないし、そもそも見栄はるために始めたのなんか趣味じゃないし、そういう趣味は続かないだろうし、すぐやめたらお金の無駄使いだし、私の趣味は読書とお絵かきとアニメ鑑賞なんだから仕方ないし、見栄はって誰かと付き合えたとしてもそれすぐ別れるだろ、というような突っ込みを脳内小人がしてくれたので上記の提案は即却下された。脳内小人よありがとう。理性に乾杯。

 

婚活市場という残酷な言葉を脳内に思い浮かべる時、付随して現れるのは「で、君の市場価値は?」という残酷な問いだ。

 

で、君の市場価値は?

 

問われると、困る。友達→恋人→結婚のような流れとは異なり、婚活市場は最初から結婚相手を探すのが目的で、なんかこの人といたらホッとするナ、アッ好きなのかも♡キャー♡みたいな感じでふわっと始まるものではないのだろう。婚活市場に一歩踏み込んだ途端、最初から吟味する側であり同時に吟味される側となるのだから。その吟味において何が重要視されるのだろうか。実際婚活アプリで見ることが出来るのは、容姿についてのぼんやりとした情報、顔写真、自己アピール(趣味とか家事のスキルとか)、収入、職業等だ。はっきり言って、ぱっと見た瞬間一発KO出来る強いカードを持っている強い人間が異様に強くなる。いや勿論ふわっと始まる恋愛だってそういうぱっと見一発KOカードが強い面は絶対にあるけれど、ここまでその面を強調されるとどうしても考えてしまう。私の市場価値。そんなものあるのだろうか。……。私の市場価値についてしばらく研究室のソファーに座って考えてみたのだが、ないんでねえか!?という恐ろしい結論に至る。お!?ないんでねえか!?不美人で無収入で大学院生(専攻:哲学)で変人なオタクは美人で収入があって社会人でまともなキラキラガールに勝てねえんでねえか!?お!?お!?!?あれ???これって当たり前でねえか!?!?うるせえだまれ!!!リアル過ぎて泣けるわ。

私は卑屈である。かつコンプレックスの塊である。不美人で胴長短足で二の腕と脚太いっていう時点で生きてる意味など探しても無駄だわ俺だってはしかんちゃんみたいな顔に生まれたかったわばかやろー!!!!ってなるのにそれに加えて頭の回転よくないし記憶力ないし日常を過ごすので精一杯だしもう哀しくなってきたからやめますけどそんなコンプレックスで脳みその半分以上占められている。で、婚活って卑屈でコンプレックスの塊である人間には完全に向いてないのだ。あれは多分ある程度自分の持ってるカードに自信がないと出来ない。自分を堂々と売り出す事ができないと無理なのだ。もう他の女性のプロフィールに勝手に打ちのめされて負けてる時点で完全に向いてなかったのだ。

決然と生きる覚悟はできても、だからって自分に自信があるかは別問題なんだよなあというのが感想である。結局「一般にウケるであろう」プロフィールが自分では書けなくて、自己紹介用のテンプレートが用意されていたのでそれをちょっと改変してプロフィール書いていた。その途中で、私はこういうのに完全に向いてないし何かこういうのあほらしいなあと白けてきた。テンプレート改変してノリよく絵文字や顔文字なんて使っちゃって語尾に☆だの♡だの付けちゃってキラキラに書いたところでそれは私が私なりに私を表現した文章ではない。これは本当に薄っぺらくて下らない文章だなと思った。虚しい。でもここまで来たし結婚したいし一応全部書くか…と思って最後の気力を振り絞り、「最近見たアニメはけものフレンズハイスクールD×Dです☆」って書いて完了ボタン押したら「×は使えません」と表記されてブチ切れて秒速退会して秒速アンインスコした。マジでない。マジでないわ。これマジだから。リアルだから。×使えないってほんと喧嘩うってるとしか思えなかったんだけど。iPhone二度見したわ。流石に。流石の私も二度見したわ。レアだわ。

 

バイバイ婚活アプリ。合計30分くらいの付き合いだったがよく眠れクソ野郎。

 

 

 

 

 

 

 

 

メンがヘラヘラじゃねえかっていう話

 

 

今日は今までの人生で一、二を争うくらいメンがヘラヘラしている。ブログも支離滅裂。一段と読む価値なし。やべえ。

 

 

罪悪感に押しつぶされそうパレードは六日目を迎え、恐らく最高潮の盛り上がりを見せている。罪悪感が日に日に重みを増し、それを抱える罪人がじわじわと押しつぶされていくのを、見物する人々が囃し立て嘲り笑う。パレードのメインとなる催し物だ。今年の選ばれし罪人は重すぎる罪悪感に精神をすっかり押しつぶされ、物理的に動く事すら難儀な状態である。六日目。地を焦がす太陽光が残酷なほどに、暑い。

物語っぽくブログを始めてみたよ、っていうだけである。罪悪感に押しつぶされかけてて精神がガチでやばいのだけがリアル。

後悔はしていないしやり直したいなどとは微塵も思わない今日この頃、感じる必要のない罪悪感に漬け込まれシオシオの漬物みたいになっちゃってストレスがあるのか食欲だけは旺盛でせっかく標準まで痩せたのにまたデブになっちゃう予感しかないし顔中に吹き出物が出来てて本当に最悪。暑いし、顔はデコボコだし、風呂に入る気力も奪われつつあるしで、私の精神やばい度を測る基準は風呂に入る気になるかならないかで、聖様事変からようやく毎日風呂にはいれるようになったのにまたこれかよいい加減にしろよなどと脳内で号泣しながら暴飲暴食コーラ飲んだりコンビニのパン食べちゃったりしてデコボコ。デコボコを触るといけないのについつい触っちゃう。あまりにもデコボコしてるからすごいからほんとフリースタイルスキーの会場みたいなそういうレベルのデコボコ。グロい。

精神も肉体もグロテスクすぎるから何でそんな状態で生きてられんの矜持ってものがないのっていうレベルで全部がグロくて醜くていっそ不幸になって死んじまえと脳内小人が囁くレベルでグロいから空の色だって濁って見えるわけで、一面濁った灰色の空が降ってくるんじゃないかしらと少し恐怖を覚えて道に突っ立ってる横を小学生が笑いながら駆けていくという種類の絶望を肴にそれでも生きる。

あー君は心身ともに醜いわ外をご覧よ初夏の空は爽やかなのに君は醜いわだから君は不幸でいなくちゃダメなのだわという自意識過剰が辛い。不幸でいなくちゃいけない理由なんてないのは分かってるしなんで他者を振ったからって私は幸せになっちゃいけないのよっていうまともな思考は出来ているのだが、脳内小人は意地が悪くてどうしようもないので、自分のために他者を傷付けたエゴイスティックな君は不幸でいなくちゃいけないよと起きている最中ずっと囁いてきて、ちょっと参っているのは本心だよねっていうか、どうにか元気を出そうとテンション上げてみたり友達と騒いだりして気分転換しても結局ダメなのよねというダメダメでグズグズな結論に戻っちゃう脳みそは蕩けてんじゃねえのっていう感じ。

脳内小人の囁きにどうにか負けずにいられるのは本当に後悔がないという事その一点があるからで、意地悪な脳内小人に屈する事はないのだけれど、それでももう駄目ってなっちゃう。ついにはこの二日、とにかく寝たら元彼が夢に出てきてずっと別れ話しないといけないという状況になっちゃって、昼寝ですら出てくるものだから、二日で大分削られた。夢の世界に逃げ込む事すら許されないのかと愕然として、泣きたくなっちゃう。

こういうじめじめした事は言うべきじゃないと思って約一週間生きてきたが、呟きが勝手に目に入っちゃうツイッターはともかく読もうと思ってくる人しかいないブログならいいだろっていう結論を下したので書くけど、真面目に辛いぞ。自暴自棄になっちゃいたいぞ。誰でもいいから人のぬくもりが欲しいぞ。あれ、一晩でいいから忘れさせてくれって感じだぞ。ベッタベタな少女漫画かなっていう、メンがヘラヘラな人かなっていう、アレ。やばいぞ。けど、脳内小人に負けるものかという意地とそんな事しても余計ドツボに嵌るだけだぞという冷静なツッコミをする正義の脳内小人のおかげで真面目に真っ当に生きる気持ちは保たれている。何の保証もしてくれない知らない人とワンナイトラブなどやってたまるかという貞操観念。頑張れ。意地悪脳内小人なんかに屈してたまるかって。そういうメンタル。うん。そういうメンタル。

などと奴らになど屈さないと言葉に出しておかないとダメなんですよ、私は心身ともに異様に弱いのでこの位言っとかないと一回折れたらマジでダメになるので折れないように強い言葉をだなあ吐くんだよ言葉にするんだよ言霊だよ言霊っていう生存戦略生存戦略、負けないよってか。負けないで頑張れって言う。だって誰も言ってくれないだろうから自分で言うしかねえだろって。誰もヨシヨシしてくれないなら自分で自分をヨシヨシするしかねえだろって。流石にね、こういうメンがやばばってる自分を他者に背負わせようなんてそういう怖い考え方は出来ないわ。そこら辺はまともだから、私。そんな私の精神状態。

ああああ、彼氏か彼女が欲しい。抱きしめて欲しい。そして一緒に寝てくれ。彼氏だったらセッ〇スしようってな、運動して寝たら夢も見ないんじゃないかなってな、そんな感じで、正直彼氏でも彼女でもない人(既婚者とか彼女・彼氏持ち除く)で全く問題ないというか寧ろそうじゃない方が今は癒される気しかしないのだが、まあ彼氏とか彼女とか、そういう表現。マイルドな表現で書けばそうなるのよねって。所属大学関係以外の、私の事とかろくに知らない人とかがいいんだよって、ひいい。やべえな精神やべえなメンがガチでヘラヘラやんけコイツ大丈夫かよと書きながら思っているなうだけど、まあ知るかっていう、このブログもちょっとつついたらバラバラに解けちゃいそうだし主語と述語のつながりもぼんやりしてるし、詰まるところ支離滅裂に脚半分突っ込んでる文章だしいいだろって。辛いから許してよ。罪悪感ひどすぎて死にたいわボケ。嘘、辛すぎるけどこれ一時的なものだし86歳までは意地でも死なないから。

全部わかってますよ。つまり、感じる必要のない罪悪感である事も、ここに留まっていたって何も前に進まない事も、鬱っぽくなるのが下んないって事も、全部忘れろって、時間が薬だって、全部全部全部わかっとるわうっせえ黙れ!!!同情するなら抱きしめてみろってんだよ出来ねえなら黙ってろ!!!!嘘、優しくしてくれるのは嬉しい。抱きしめてくれなくていいから同情してください。とっても嬉しいし癒されているのは事実。抱きしめてくれたらもっと嬉しいってだけ。ははは。コイツメンタルくるってんな。ウケる。

閑話休題、何が言いたかったのかって、つまり理性に感情が追い付いてないっていうだけ。理性は苛々してさ、どんくさい感情にはよ立ち直れやって言ってんだけど、感情はどんくさくて走るのクラスで一番遅いから、全然理性に追いつけなくてぜえぜえはあはあ言うだけで1mmも進んでないもんだから、理性は更に苛々して感情はびくびくおどおどってなっちゃって更に足が遅くなる。悪循環だよう。本当は理性による判断に感情が追いつくまで行動するのを待つべきだったんだろうけど、それしたら色々間に合わない気がしたから、突貫で。その代償なんだよなあこの結果。メンタル不安定クソ女。罪悪感に押しつぶされて、自分を通すために他人を傷つけてエゴイスティックで生きてる価値なくたって意地でも生きてやるからと叫び続けている。ほんとクソ。

でもクソみたいでエゴイスティックで生きてる価値ないかもしれないこんな私の人生が好き。畢竟私は自分の人生が好き。生きるのが好き。みんなも好き。哲学も好き。だからぶっちゃけたら大丈夫なんだけど、辛いのは好きくない。僕マゾじゃないんで。

時間が薬ってほんと残酷な話じゃありません?時間しか薬ないのかよって。しかもどのくらいの時間を薬として服用したらいいかもわからんって、ひゃあ。すごい話だと思いません?と思いつつでもそれ以外にどーしようもないから本日も生きて、時間を服用するのだ。寝るの嫌だなあ。夢見なかったらいいのになあって。思ってる。なう。は。

 

 

 

 

 

 

普通さとキラキラと決然と生きるという事について

 

 

今日も暑い。

 

 

決然と生きましょう、と東京で会ったマブダチの人は言った。結局三日連続で行った古びた喫茶店で、或いはどこかの居酒屋で、或いは炎天下の中道を歩いていた時に。決然、決然、そうですね、それは重要ですね、と言いつつ、決然と生きるというその内実について、この時点では実はよく分かっていなかった。ごめんなさい。許して。

 

東京に行って、マブダチの人達、お友達の人達、お知り合いの人達、お名前だけ存じ上げていた人達、存在する事を知らなかった人達に会った。全ての人が寛容で、存在を認められて、存在することを許されている感じがした。おかしいな、と思った。少しおかしい。いやかなりおかしい。確実に間違っていると思った。そう思う一方で、非常に居心地がよかった。救済すら感じた。心の奥深くから本当に感動した。奇妙だった。

こちらに帰ってきて一週間、ああ、あの感覚が人権を得ているという感覚なのだなと思った。別にこちらで人間扱いされていないという訳ではない。むしろ周囲の親しい人々には大事に大事に本当に大事にされていると思う。何だろうか、異物としてではなく世界の一部としてごく当たり前に受容されたとでも言えばよいのか。東京では私の「普通じゃなさ」が普通の事として当たり前のように受容されていた。「普通じゃない」が普通だった。「普通じゃない」は普通じゃないのが当たり前で、だから標準性にあこがれて道を踏み外さないように頑張って歩いているつもりなのに、結局斜めに向かって歩いてしまって人とぶつかり冷や汗をかいてきたのだが、あの場では斜めに歩いていても「斜めに歩く人なんだなあ。そっかー、いいじゃん」で完結している気がした。ぶつかっても笑ってくれていた。今までの人生では、「斜めに歩…へえ(苦笑)」みたいな、「いや面白いよね(苦笑)」みたいな、引き気味の反応で、いや別にその反応に傷付くなんて事はなくって、むしろその反応って当たり前だとも思うんですけど、やっぱりそうだよねっていう、やっぱり「普通じゃない」は普通じゃない。普通じゃないのだ。トートロジーか。

私にとって「私は普通ではない」という命題は呪縛だった。ずっと普通になりたかった。平凡でもなんでもいいから普通の反応をするずれてない普通の人になりたかった。でも普通になれない。多分根本が普通じゃないから普通にはなれない。上っ面では普通になれるけど根本は普通じゃない。ずっと普通じゃない。物心ついた頃から変わってると周囲の人々に言われ続けて、劣等感を抱いてきた。宗教も普通じゃない。皆キリスト教徒じゃないから、初詣にも行くし占いだってするし墓参りに行ってお線香を刺したりだって、なんだって出来る。小中学生の頃、日曜日遊ぼうと言われてもその普通じゃなさに劣等感を抱いて、日曜日は家族みんなで買い物に行くからと友人に嘘を吐き続けていた。多分嘘だってばれていた。それでも動悸を覚えながら嘘を吐き続けた。辛かった。身体も人より弱くて普通じゃない。昔に比べたら強くなってきたけれどそれでもやや頻繁に体調を崩して、布団にもぐって劣等感の海にダイブする。心身共に普通じゃないのが私にとっての普通。私にとっての普通は普通じゃない。つまり私は普通じゃない。普通じゃない。変わってる。普通じゃない。変な人。普通じゃない。呪いかよ。みたいな。標準性という呪い。普通のゲシュタルト崩壊。普通って何だ。皆の普通が分からない。普通。標準性。普通。ふつう、ふつう、ふつう。狂ってる。本当に狂ってる。

 

 

「私は普通ではない」という実は真偽の定まっていない命題に勝手に劣等感を覚えるという謎サイクルに乗っかってずっと生きてきた。いや多分真だと思うけど。ともかく、だから決然と生きるなんて、そんなの考えた事もなかった。私が決定する事なんて、考える事なんて、普通じゃないから禄でもないと諦めて、途中までは自分で決定しても、最終的には結局他者の大いなる決定に寄りかかって生きようとしていたのだと気付いた。普通じゃないから、普通の人が作り出す流れに寄りかかって生きようとしていた。だって私は普通じゃないからそれがベターに決まってるんだと無意識に思っていた。これは自分が誰かを傷付けるという事を避けて、それなら私が諦めて他者に従おうという生き方だ。クズみたいな生き方だ。責任を他者に擦り付けようとする生き方だ。最高に卑怯な生き方だ。そもそも生きてない。私は自分の人生を生きていないじゃないか。

 

決然と生きる。

 

それはきっと自分からリスクを受け入れてでも自分の生きたい人生を生きようという覚悟だ。普通じゃなさを堂々と普通じゃなさとして受け入れて、何だか分からない「普通」とぶつかって血を流してでも私として生きようという戦いの覚悟だ。それが私にとっての決然と生きるという事の意味だ。ようやく分かった。マブダチの人が言っていた意味がようやく分かった。一週間以上経って、ようやく。もっと言えば、四半世紀以上生きてきて、ようやく「自分の人生を生きる」という言明の意味が分かった。そうか、そういう意味だったのか。目から鱗だわーみたいな気持ちでいる。勿論これは「普通」とわざとぶつかって、普通の人を傷付ける覚悟ではない。ぶつかった時に、過剰に卑屈にならないで、私はこういう人間でこういう事を考えているの、と後ろめたさなく堂々と言えるようになろうという覚悟だ。実際普通なのかも分からない「普通さ」に勝手に傷付くのも、ボロボロに傷付けられるのも、やーめた、という気持ちだ。今、凄く心が軽い。どこにでも飛んでいけそうだ。いっちょイデア界行くか。

 

東京に行かなかったら分からなかった。東京で様々な人達に会わなかったら分からなかった。きっとズルズルと他者に責任を押し付けて生きていっていた。決然と生きたいと思う事は出来なかった。私の人生にも尊さがあるという事に気付かなかった。普通じゃなさをそのまま普通の事として受け入れてくれる、奇妙だけれど変だけれど救済すら感じた感動的なあの場を体験しなかったら、普通という呪縛を取り払って普通じゃないまま生きる事が出来るという可能性にすら気付かなかった。別に普通じゃなくていいじゃんと、いやいやそのままでいいじゃんと、気を遣うでもなくごく当たり前の事を言うように言ってくれて、笑ってくれる人々がいなかったら本当に分からなかった。涙が出るくらいの救いを感じたのだ。本当に。本当に本当に、本当に私は感動したのだ。真正に、まさに、それは救済だった。その言葉を発した人々は軽い気持ちで言ったのだと思うけれど、私にとっては、ピカピカで、キラキラで、本当に眩い宝石みたいな言葉だった。重くてごめんなさいね。でも本当なんですよ、許せ。

 

今まで人間が人間を救済する事は不可能だと思って諦めて生きてきたのに、結局私は人間の言葉に救済された。人間の持つ寛容さに救済された。人間って凄いんだと思った。ほんの些細な事で他人をここまで救えるんだと驚いた。だからこその人類愛。人間にもっと希望を持ってもよいのかもしれないとすら思えた。人間種を例化している存在者の尊さと彼らの持つキラキラに、もっと寄りかかってもよいのかもしれないと思ったのだ。人類への感謝と愛おしさが湧き出てきた。ありがとうございますって、大好きです愛してますって、周囲のお世話になってる人達、遠くのマブダチの人達、遠くの近くのお友達、遠くの近くの知り合いの人達全員に言いたい。大声で言いたい。私の人生のピカピカ達に感謝と愛を届けたい。そうだ、皆は私の人生のキラキラだ。恥ずかしいけど、これが今の私の率直な気持ちです。