これは私ですか?(2期)

私ではないだろうか

所感

  

 

このまま一人、というのはきっと寂しい。

日曜に熱が出て、気分の悪さに沈み込んで、そしてそのまま自分で自分の看病をした。残念ながら自分を看病してくれる人間は自分以外にいない。満身創痍の自分が青い顔をした自分に囁く「ご自愛下さい」という言葉は掠れていて説得力がまるでない。力強く生きる他者に優しく言われたいものだとどうしても思ってしまうのは、ごく普通の感情の動きである。風邪をひいて高熱が出たら万人がそうなるに違いない。

 

4ヶ月だか3ヶ月前まで持っていた筈の恋人が欲しいという感情は薄れていって、随分ぼんやりしたものになってしまった。なにせそもそもモテないのに加えて、恋愛弱者故に恋愛を恐れる存在者である。恋愛を感じさせる他者との触れ合いが全くないものだから(そしてそれを心のどこかで望んでいるものだから)、なんか恋人いなくてもお友達はいるしーみたいな、恋人いなくてもちょー楽しーみたいな、恋人がいない方が自由じゃーんみたいな、そういう刹那的な感情が先立ってしまう。勿論、例えば、喫茶店の目の前の椅子に誰も座ってない時や、月を見上げて、月が綺麗だねと話しかける相手が隣にいない時に、寂しくはなる。一人きりだと感じると、いつも過去をぼんやりと幻視する。目の前にいつも座っていた人、月が綺麗だねと話しかけたらそうだねと答えた人、ただその過去の事実を幻視して、無感動にそういえばそんなこともあったと思うだけだ。特定の誰かの不在が寂しいのではなくて、自分が一人きりなのが寂しい。でもそんな感情はすぐに日常の喧騒に掻き消される。次の瞬間にはなくなっている。そして欲望は日に日に薄れていく。

 

ただ体調を崩すと、どうしてもそれが止め処なく溢れ出てくる。看病してくれる人間もいなければ心配してくれる人間もいない、辛いと訴える相手もいない、そしてその訴えを受け入れ慰めてくれる人間もいない、そのような事実をまざまざと突き付けられ、それは弱った心身にいとも容易く突き刺さり、血が流れる。そうか私は一人であるな、と自らの熱い血に溺れながら思うのは、なかなか辛いものである。そして少しでも気分の悪さが改善されると布団の中でツイッターに張り付いた。寂し過ぎて、どうしても人とコミュニケートしているという実感が欲しかった。そういえば、恋人と別れてフリーで、かつ近くに家族もいないという状況でこんなに高い熱が出たのは初めてだった。だから独りだというのが余計身にしみた。恋人がいた頃は、恋人に一言同情してもらえたらそれで満足していた筈だ。人間は弱い。だからこそ愛おしいのだけれど、それでももうちょっと強くてもよいじゃないかと愚痴をこぼしたくなる。

心配してくれたり同情してくれる友人及び知人は勿論いるんだけど、友人の同情と恋人の同情とは質が違うように感じるから、ダメだ。それは多分お互いの魂の近さが違う事に起因していて、友人は飽くまでも友人で、それが例え親友であったとしても、魂が直に触れ合って重なり合う事は決してない。恋人は、魂が直に触れ合って、密着して、もちろん溶け合うなんて事は絶対にないのだけれど、それでも奇跡的にそっと重なり合う瞬間はあって、そしてその瞬間は関係性に何か特別なものをもたらして、だから同情や心配の質が決定的に違う。そしてやっぱりささくれ立った心を潤すという点について効率性が高いのは後者のそれで、そう、効率性も違う、まあとにかく、手っ取り早く心を潤して弱った心を甘やかして欲しい、もっといえば、弱った私を受け入れて抱きしめて欲しい時に欲するのは、やっぱり結局恋人なのだ。(というかそもそもそれは友人という範疇を超えた役割だから、ハナから友人に求めていない。)

というわけで、恋人が欲しいという感情が少しだけ復活したわけなのだが、多分健康になって、それから一週間もしないうちに、また簡単に消え去るだろう。でも、このまま一人は嫌だなあと熱にうかされながら思った生々しい感情は忘れたくない。どうも健康な時は素直になれないというか、いや一人でもいいし、みたいな事を考えがちなんだが、病でヘロヘロになった素直な脳みそが欲したものは忘れないでおかないといけない。気がする。大好きが増えても満たされないものは満たされない。残念ながら。私も他者からの大好きが欲しい。一方通行じゃない愛が欲しい。これもまた自然な感情だ。まあどうせまた私の事だから全部すぐに忘れるんだけど。

 

 

* * *

  

 

バラエティー番組を見て一緒に笑うとか、日常を共にしてきた人だった。真面目なドキュメンタリーは一緒に見てくれなかった。根本的に我慢ならない部分が恐ろしく、そしてたまらなく嫌いだった。見下しすらしていた。一番重要な部分が全く噛み合っていない、とずっと分かっていた。それでも、好きな部分はあった。だから、付き合っていた。

私を好きでいた。好きな部分はそれに集約されるだろう。それだけだったかもしれない。だから別れた。それだけではカバー出来なかった。結局、都合のよい私が好きだっただけだろう。そして私も相手自身というよりも、相手の私を好きであるという感情が好きだっただけだろう。下らない。我ながら本当に嫌らしい。下衆だ。

それでも、楽しい事はとても楽しかった。気の合う部分は勿論たくさんあった。友人のままだったら、多分よかった。

もう、二度と会いたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

順序

 

 

食、というものに実はそこまで興味がないのかもしれない。勿論美味しいものは人並みに好きなんだけれど、根底では自分的に美味しくて腹がくちくなれば食事はなんでもいいと思っている節がある。美味しいものは高いし。お金ないし。だから美味しいお店も全然知らない。街に出ないというのもその原因としてあるけど。まあそんな感じで、ご飯がずっと同じメニューでも構わないし(総じて好きなものに飽きるという事が基本的にない)、従って同じチェーン店の同じお弁当が続く事になる。基本的に、のり弁当かからあげ弁当か茄子味噌弁当しか選択肢にない。別のメニューにそこまで興味がない。

お弁当屋さんに行くのがどうしてもめんどくさい日というのもあって、そんな日は夕飯がコンビニのおにぎり二個とパン一つになる。栄養バランスなんてクソくらえみたいな酷いメニューだが、畢竟お腹がいっぱいになればそれでいいので、もうこれでいい。買うものは毎回同じで、シャケのおにぎりと、高菜のおにぎり、ウインナーの総菜パン。コンビニの中で好きな味の食べ物で固定されている。普通においしい。

 

でもコンビニでなるべく買わないようにしているのは、満足感が上手く得られないという点にある。毎回なんか違うんだよなあ不発だなあってなる。別に味とか栄養素とかそういう意味で満足感が得られないんじゃなくて、あのね、食べる順番がね、一番満足感が得られると思われる順番がね、これがね、ないんですよ。これが書きたくてブログ書いてるんですよ。謎の前置きとか、これのためだけに書いた。

毎回パン米米コンボをきめたいという欲望があるので、ウインナーの総菜パンを最初に食べるんですけど、そこまではいいんですよね、問題は米米の部分で、これがね、どっちを選んでも毎回違うんだよなあってなるのだ。パンの後にシャケおにぎりを食べると、『なんこれ、めっちゃ美味しい…最後に食べればよかった…』となるし、高菜おにぎりをパンの後に食べると『なんこれ、めっちゃ美味しい…最後に食べればよかった…』となって、どっちにしろ最後に残されたおにぎりを不満げに食べる事になる。私は美味しいものは最後まで残しておきたいタイプの存在者なので、こうなっちゃう。おにぎりが美味しいのが悪い。自分の中でこの二種類のおにぎりは同じ位美味しいのだから、外側から見ればどっちを最後に食べても美味しいものを最後まで残しているという結果になるのだが、問題は一番目のおにぎりを食べる時の方が、二番目に食べる時に比べてお腹が空いているので美味しく感じる気がするという点であろう。二番目のおにぎりを食べる時にはお腹はまあまあ満たされているので、一番目のおにぎりに比べて美味しさを感じ難い。これが逆に単純な味の好みで比べた時に優劣のつくおにぎりだったらこんな事にはならないのだが、私にとってこの二つのおにぎりは同じ位美味しいので優劣が付けられない。結局どっちを先に食べようが不満が残る結果に陥るのだ。何だこのブログ。

というわけでコンビニで夕飯をすますという事は何とかして回避しようとしているけれど、ちょっと遠くまででかけるのがめんどくさくなる夜もあって、たまにコンビニで夕飯をすます夜が生じて、これ、もう、なん…みたいな不満足感というか、不完全燃焼というか、切ないというか、哀しいというか、そういう気持ちになる。もうコンビニでおにぎり買うのやめろよ馬鹿、ってなるけど、コンビニで食べたいのはやっぱり先に挙げたおにぎり二つと総菜パンなわけで、もう、わたし、よく分かんないよ…どうしたら、どうしたらいいの…どうしたら世界は平和になるの…。おにぎり…ラブ、平和…2017…

 

 

 

 

 

 

友宜

 

 

友人は普通にいる。特別多いわけではないが、特別少ないわけでもない。みんないい人で大好きである。友人たちが私の事を大好きかは正直知らん。でも大好きかどうかは知らないけど、普通に好きでいてくれてるんじゃないかなと思っている。希望的観測?そうじゃないと悲しすぎるだろ、いい加減にしろ。

でも、友人と聞いて一番に思い出すのは、今仲がいい友人と思っている人々ではなく、たった一人の女の子だ。声も名前も顔も覚えていない。全体的にぼんやりとした記憶は掴みようもなく、細部なんてとても思い出せない。ただ、その女の子の「あたしたち、今だけ友だちになろう」という言葉しかはっきりと思い出せない。遠い昔の話だ。

 

幼稚園児だった私は、その時スーパーのお菓子コーナーにいた筈で、それでその女の子が話しかけてきた筈だ。なんと話しかけてきたか覚えていないけれど、同世代の子供だった。ちょっと話して、多分気があったんだと思う。「あたしたち、今だけ友だちになろう」、女の子はそう言ってきて、私は同意して、ちょっとの間スーパーで遊んだと思う。何をして遊んだのか全く覚えていないのだが、とても楽しかった筈だ。そう思った記憶がある。それで、確か、女の子の両親が迎えに来て、ばいばいした筈だ。その後自分の両親に車の中で「友だちができた」と報告した筈。両親はよかったね、と言った。筈。

こんなぼんやりした記憶しかない。正直、実際の出来事なのか、夢の中の出来事なのか、そもそも虚偽記憶なのか、という事すら今では判然としない。はっきり覚えているのは、自分が楽しかった事と、女の子の「あたしたち、今だけ友だちになろう」という言葉だけだ。

 

友人と聞くと、そんなぼんやりとした、存在すらもあやふやではっきりとしない女の子の事を思い出す。そして、「あたしたち、今だけ友だちになろう」という言葉を思い出す度、じゃあ今は友だちじゃないのかな、と思ってきた。今でも思う。そう思うと寂しくなる。そうして、私は今でも彼女への友情を持っているんだな、と気付く。でも、きっとあの子は私の事、忘れてるんだろうな、と思って、もっと寂しくなって、脳内の押し入れの中に女の子の言葉をそっとしまい込む。それの繰り返しだ。

もう会う事もない。万が一すれ違ったとしても、お互いあの時の女の子だと認識すらできないだろう。彼女のこれは期間限定の友情であるという宣言が、儚い。あの時、仮に彼女がずっと友だちでいようと言ったとしても、どこに住んでいるのかすら分からない女の子とずっと交流を続けられるわけでもない。あの女の子はきっと賢かったのだろう。私と二度と会えないと分かっていたのだろう。対する私は無邪気に、あるいは愚直に、友だちが出来たという事を喜んだだけで、その事実に気付いたのはもっと後だった。私は昔から単純で馬鹿で、重大な事実に気付くのが遅すぎる。三つ子の魂百までとよく言ったものだ。悲しい程に笑える。

存在してるのかすらよく分からない女の子への友情を引き摺り続けて、彼女も私の事をぼんやりでいいから覚えていてくれたらいいな、という希望的観測を撫でながら、今夜もセンチメンタルとロマンチックに浸って、夜空を見上げるのだ。都会の空は星がぼんやりとしか見えなくて、掴もうとしても掴めない記憶みたいで、満天のお星様なんて手に入れられない。切ない。☆5サーヴァント?ああ、今日ガチャで二人来ましたけども?余裕っすわ。眼鏡クイッすわ。今眼鏡かけてないけど眼鏡クイッすわ。クゥー。

 

 

 

 

 

 

 

祈祷

 

 

ぼんじゅーる、ぼんじゅーる。フランス語は分からない。私です。元気か。

 

しばらくブログを放置していた気がする。まあいうて一か月半くらいじゃないだろうか。あの頃は最後の精神不安定要素の波が来ていたので、ブログはこれ以上書かない方がいいだろうと判断してリンクも消して存在を無視していたのだが、九月に入って精神の状態が以前の通常状態にようやく戻ってきたので、ブログを書いても大丈夫だろうと判断したわけである。いえーい。

 

今年の上半期(特に4月から8月)は色々重なったり連続して起こったりで、今までになかったくらい精神が混迷して、ジェットコースターみたいに乱高下を繰り返していて、大変だったなあというのが感想である。私は精神がある程度恒常的に安定しているのを自負していたのだが、その自信もかなり崩された。人前では躁状態で一人になれば途端に鬱状態という2つの状態を簡単に行ったり来たりしていたので、この期間に会った人には迷惑をかけたと思う。今思い出すと精神状態とテンションがかなりおかしかった。まあ一気に様々な事に関して精算できたのでよしとして欲しい。駄目?

あと、ブログ記事を整理した。結果として夏あたりの記事はほとんど残っていない。書いた事は真実だし、今も考えや気持ちは変わっていないけど、文字として残しておくには余りにも感情を剥き出しにし過ぎている嫌いがあって危険だと思った。なので、残すに値しないなという記事は容赦なく全部消した。それでも、初夏の記事は2つだけ残した。胃カメラの記事に関しては消してもよかったけど、胃カメラを受ける際の描写が比較的詳細に書かれているので記録として残しておく事にした。あと、全部諦めないの気持ちは大事で忘れてはいけないので、それも残している。それ以外は何も残っていない。大丈夫、私の心の中には残っているから…。何が大丈夫だ、何が。

 

ブログ再開したって、書くべき事は特にない。だらだら不定期に書いてだらだら更新してべやーっとテキトーに書いていくんだろうという予感しかない。存在論を愛して、キラキラ達を愛して、人類愛で心を満たして、おっぱいの事とか女の子の事とか考えて、好き好き大好きの気持ちで頑張っていつも通りフッツーに生きていくので、ブログも劇的になる筈もない、というか劇的にならないで欲しい。今年の下半期は心穏やかに過ごさせてくれという祈りの気持ちが天に届けばいいが。そーれ、満天のお星さまゲット。お星さま100個もーらった。いいか、ガチャで☆5が出ないなんて些末な問題なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

病院に行ったよっていう話

 

今日はイエロースムージーを飲んだ。

 

昨日胃カメラを飲んだ。一年のうちに二回も胃カメラを飲むとはどういうこっちゃという感じだが、結果として胃潰瘍だったわけで、変なの。日曜の夜に血を吐いて、月曜病院に行って、昨日遂に胃カメラである。六月上旬から胃腸の調子は悪かったし、お腹は痛かったし、ここ五日くらい実は血便(異様に黒かった)が出ていたし肩甲骨の辺りがずっと痛かったので、なるほどそれらは全部胃潰瘍のせいだったかあと思っている。原因が分かると安心するのは人の性か。

胃のなかを綺麗にするらしい薬を飲まされ、麻酔の薬を二分間喉に含まされ、飲み込む。非常にまずい。その後でスプレーの麻酔薬を何度か喉の奥にかけられ(個人的にこれが一番つらかった。喉に染みて痛いし咽そうになる)、胃の動きを抑える薬を注射され、最後に鎮静剤を腕に打たれ、10秒後に気を失う。脳が柔らかい暗幕に素早く包まれていくような感じだ。約一時間後に目を開けると寝た状態で知らない天井を見ている。終わり。胃カメラ検査の最中で苦しくて一回起きた気がする。正直あまり覚えていないけれど、苦しむ私の背中を看護師さんが何度もさすってくれて、その優しさがとても嬉しかった事は比較的鮮明に覚えているので、多分一回覚醒したんだろう。検査の後、鎮静剤の影響でふらつく脳と身体で何とか歩いて、先生の説明を受けに行く。自分の胃の写真がPCの画面に何枚も映された。グロテスクな情景が広がっていた。自分の胃の中なのだが、他人事みたいに顔を顰めてしまった。去年見たツルツルつやつやのピンク色の胃はどこかに行ってしまったようだった。先生は簡潔に「胃潰瘍やね」と仰られ、それから色々と説明を受けた。そこまでは酷くはないと言われ、ほっとしたのもつかの間、「でも胃潰瘍やからね」と先生に真顔で言われ、完治までは二ヶ月かかると言われた。何じゃあそりゃあ…という感想。二ヶ月もかかるんだあ困るなあと思ったが、「でも薬飲んだら絶対に治るから」と述べる時の、先生の力強い言い方に安堵した。絶対大丈夫だよの力を感じた。祝福だ。

血を吐いた時の恐怖は、一瞬本気で死を覚悟したくらいだった。二回に分けて吐いたのだが、一回目は見なかったことにしようと咄嗟に思った。気のせいで片付けられない色だったのに、気のせいでしょと言い聞かせ、トイレから出て行ったのだが、十分後また吐いた。便器のなかは全面赤茶色だった。流石に二度も血反吐を吐けば流石にコレやばいわと思い始める。思い始めて、まだ死にたくないと強く思った。私は86歳まで生きるんや、病院行かないと!という訳で、次の日病院に駆け込んだ訳であるが、迅速に病院に行ってよかったと思う。結果として血反吐を吐いてよかったのだろう。アレがなかったら、いつもの胃痛だと思って病院には行っていなかった。胃に完全に穴が開く前に行ってよかった。まだ窪みだからね。

それから薬を一か月分処方され、大日本住友製薬の『胃・十二指腸潰瘍といわれたのですが』というブックレットを貰った。家に帰って、ブックレットをフムフムと読む。十二指腸潰瘍は比較的若い人に多く、胃潰瘍は中年以降の人に多いです、と書かれていて笑った。私は中年だったか。原因はストレス・過度のアルコール摂取・抗生物質等によって胃内の防御因子のバランスが崩れる事、また最近はピロリ菌との関連性が大きくクローズアップされています、とあった。どう考えてもストレスかピロリ菌しか考えられないわけだが、ストレスね、まあ…多大にあったわよねだし今もあるわよね…という感じだ。そんなこんなでストレスに敗北してしまったっぽいので、非常に癪である。まさに「口では強がっていても…身体は正直だな?(イケボ)」状態である。ムカつく。実際、諸々の傷付いた事や哀しかった事や苦しかった事や諸々の罪悪感に関して日常そこまで考えないようにしようと努めていたのだが、やっぱりかなり苦しんでるんですねえなどとどこか他人事のように捉えている。他人事のように捉えないとそれに囚われてしまう。我が事ながらまあ頑張って生きろとしか言えない。

とにかく出来るのは薬を真面目に飲む事と、消化に良いものを食べ、なるべく刺激物を摂取しないという事だけだ。コーヒーを暫く飲めないというのが一番辛い。はやくよくなりたい。はやく健康になりたい。はやくはやくと急かしてもよくはならないのだから、仕方ないのだけれど、もう不健康は沢山だ。もういい加減うんざりだ。超健康とまではいかなくていいから、人並みに健康になりたい。普通になりたい。体調に関してだけは、普通になりたい。生まれつき身体が弱いから、多分無理だけど、それでも、健康になりたい。財布を膨らます診察券なんて全部燃やしてしまいたい。そんな感じで私の胃は今非常にグロい事になっている。それは凹んだ腹に手を当てても分からないけれど、事実だ。自分の事なのに他人事のようなグロテスクな胃の中の潰瘍。変なの。

 

 

 

 

 

 

絶対全部諦めない

 

 

今日は空が青い。

 

 

絶対この手の中に握りしめていないといけないものを適当にぶらぶらさせて、そのままなくしちゃうかも知れないというのに、よく笑っていられるものだ。椅子の並んだ広い広い部屋に響く人間達の笑い声は、状況に似合わずとても牧歌的で、あの人たちは自分たちのしようとしている事が何なのか、きっと分かっていない。しようとしている事が、作り出そうとしているものが、どれだけ危険で恐ろしい結果を可能性として孕んでいるのか、きっと分かっていない。バイクに乗ったひったくりに大事なものを奪われてからじゃ遅いんだよ、適当にぶらぶらさせて持っちゃだめだよ、奪われないようにしっかり手に握りしめて離さないようにしないとだめなんだよ、という私の考えは今風ではないんだろうか。私がずっと欲しくて欲しくてたまらなくて、ようやく手に入れた大事な大事なそれは、他者にとっては軽く蹴飛ばせるような比較的どうでもいいものだったのだろうか。束となった複数の笑い声がイヤホンを通して聞こえてきた時、私は辛くて悲しくて悔しくて死にたくなった。一瞥もされず複数の足に踏みにじられた気持ちは地面にバラバラに散らばって、絶望感と無力感に打ちひしがれた。泣くしかなかった。

 

決然と生きようと誰かが囁く。

絶対全部諦めない。大事なそれも人類愛も哲学も恋もペットの幸せも私の幸せも、全部諦めない。本当に大好きで本当に大事な人やものを、もしひったくりに掴まれたとしても、絶対手放さない。死んだって手放さない。私は決然と生きると決めたのだ。せっかく手にした大事なものをまた奪われてたまるものか。絶対に誰にも触らせない。私の大事なキラキラ達を穢れた手で触って蹂躙しようとする奴らは許さない。隣人の肩に沢山ぶつかってでも頭から血を流してでも、キラキラだけは死守しないといけないのだ。私の人生のキラキラだけはぎゅっと握りしめていないといけないのだ。だから絶対に全部を諦めない。絶対に全部全部全部諦めない。

さあ、今日を生きよう。

 

 

 

 

 

 

 

普通さとキラキラと決然と生きるという事について

 

 

今日も暑い。

 

 

決然と生きましょう、と東京で会ったマブダチの人は言った。結局三日連続で行った古びた喫茶店で、或いはどこかの居酒屋で、或いは炎天下の中道を歩いていた時に。決然、決然、そうですね、それは重要ですね、と言いつつ、決然と生きるというその内実について、この時点では実はよく分かっていなかった。ごめんなさい。許して。

 

東京に行って、マブダチの人達、お友達の人達、お知り合いの人達、お名前だけ存じ上げていた人達、存在する事を知らなかった人達に会った。全ての人が寛容で、存在を認められて、存在することを許されている感じがした。おかしいな、と思った。少しおかしい。いやかなりおかしい。確実に間違っていると思った。そう思う一方で、非常に居心地がよかった。救済すら感じた。心の奥深くから本当に感動した。奇妙だった。

こちらに帰ってきて一週間、ああ、あの感覚が人権を得ているという感覚なのだなと思った。別にこちらで人間扱いされていないという訳ではない。むしろ周囲の親しい人々には大事に大事に本当に大事にされていると思う。何だろうか、異物としてではなく世界の一部としてごく当たり前に受容されたとでも言えばよいのか。東京では私の「普通じゃなさ」が普通の事として当たり前のように受容されていた。「普通じゃない」が普通だった。「普通じゃない」は普通じゃないのが当たり前で、だから標準性にあこがれて道を踏み外さないように頑張って歩いているつもりなのに、結局斜めに向かって歩いてしまって人とぶつかり冷や汗をかいてきたのだが、あの場では斜めに歩いていても「斜めに歩く人なんだなあ。そっかー、いいじゃん」で完結している気がした。ぶつかっても笑ってくれていた。今までの人生では、「斜めに歩…へえ(苦笑)」みたいな、「いや面白いよね(苦笑)」みたいな、引き気味の反応で、いや別にその反応に傷付くなんて事はなくって、むしろその反応って当たり前だとも思うんですけど、やっぱりそうだよねっていう、やっぱり「普通じゃない」は普通じゃない。普通じゃないのだ。トートロジーか。

私にとって「私は普通ではない」という命題は呪縛だった。ずっと普通になりたかった。平凡でもなんでもいいから普通の反応をするずれてない普通の人になりたかった。でも普通になれない。多分根本が普通じゃないから普通にはなれない。上っ面では普通になれるけど根本は普通じゃない。ずっと普通じゃない。物心ついた頃から変わってると周囲の人々に言われ続けて、劣等感を抱いてきた。宗教も普通じゃない。皆キリスト教徒じゃないから、初詣にも行くし占いだってするし墓参りに行ってお線香を刺したりだって、なんだって出来る。小中学生の頃、日曜日遊ぼうと言われてもその普通じゃなさに劣等感を抱いて、日曜日は家族みんなで買い物に行くからと友人に嘘を吐き続けていた。多分嘘だってばれていた。それでも動悸を覚えながら嘘を吐き続けた。辛かった。身体も人より弱くて普通じゃない。昔に比べたら強くなってきたけれどそれでもやや頻繁に体調を崩して、布団にもぐって劣等感の海にダイブする。心身共に普通じゃないのが私にとっての普通。私にとっての普通は普通じゃない。つまり私は普通じゃない。普通じゃない。変わってる。普通じゃない。変な人。普通じゃない。呪いかよ。みたいな。標準性という呪い。普通のゲシュタルト崩壊。普通って何だ。皆の普通が分からない。普通。標準性。普通。ふつう、ふつう、ふつう。狂ってる。本当に狂ってる。

 

 

「私は普通ではない」という実は真偽の定まっていない命題に勝手に劣等感を覚えるという謎サイクルに乗っかってずっと生きてきた。いや多分真だと思うけど。ともかく、だから決然と生きるなんて、そんなの考えた事もなかった。私が決定する事なんて、考える事なんて、普通じゃないから禄でもないと諦めて、途中までは自分で決定しても、最終的には結局他者の大いなる決定に寄りかかって生きようとしていたのだと気付いた。普通じゃないから、普通の人が作り出す流れに寄りかかって生きようとしていた。だって私は普通じゃないからそれがベターに決まってるんだと無意識に思っていた。これは自分が誰かを傷付けるという事を避けて、それなら私が諦めて他者に従おうという生き方だ。クズみたいな生き方だ。責任を他者に擦り付けようとする生き方だ。最高に卑怯な生き方だ。そもそも生きてない。私は自分の人生を生きていないじゃないか。

 

決然と生きる。

 

それはきっと自分からリスクを受け入れてでも自分の生きたい人生を生きようという覚悟だ。普通じゃなさを堂々と普通じゃなさとして受け入れて、何だか分からない「普通」とぶつかって血を流してでも私として生きようという戦いの覚悟だ。それが私にとっての決然と生きるという事の意味だ。ようやく分かった。マブダチの人が言っていた意味がようやく分かった。一週間以上経って、ようやく。もっと言えば、四半世紀以上生きてきて、ようやく「自分の人生を生きる」という言明の意味が分かった。そうか、そういう意味だったのか。目から鱗だわーみたいな気持ちでいる。勿論これは「普通」とわざとぶつかって、普通の人を傷付ける覚悟ではない。ぶつかった時に、過剰に卑屈にならないで、私はこういう人間でこういう事を考えているの、と後ろめたさなく堂々と言えるようになろうという覚悟だ。実際普通なのかも分からない「普通さ」に勝手に傷付くのも、ボロボロに傷付けられるのも、やーめた、という気持ちだ。今、凄く心が軽い。どこにでも飛んでいけそうだ。いっちょイデア界行くか。

 

東京に行かなかったら分からなかった。東京で様々な人達に会わなかったら分からなかった。きっとズルズルと他者に責任を押し付けて生きていっていた。決然と生きたいと思う事は出来なかった。私の人生にも尊さがあるという事に気付かなかった。普通じゃなさをそのまま普通の事として受け入れてくれる、奇妙だけれど変だけれど救済すら感じた感動的なあの場を体験しなかったら、普通という呪縛を取り払って普通じゃないまま生きる事が出来るという可能性にすら気付かなかった。別に普通じゃなくていいじゃんと、いやいやそのままでいいじゃんと、気を遣うでもなくごく当たり前の事を言うように言ってくれて、笑ってくれる人々がいなかったら本当に分からなかった。涙が出るくらいの救いを感じたのだ。本当に。本当に本当に、本当に私は感動したのだ。真正に、まさに、それは救済だった。その言葉を発した人々は軽い気持ちで言ったのだと思うけれど、私にとっては、ピカピカで、キラキラで、本当に眩い宝石みたいな言葉だった。重くてごめんなさいね。でも本当なんですよ、許せ。

 

今まで人間が人間を救済する事は不可能だと思って諦めて生きてきたのに、結局私は人間の言葉に救済された。人間の持つ寛容さに救済された。人間って凄いんだと思った。ほんの些細な事で他人をここまで救えるんだと驚いた。だからこその人類愛。人間にもっと希望を持ってもよいのかもしれないとすら思えた。人間種を例化している存在者の尊さと彼らの持つキラキラに、もっと寄りかかってもよいのかもしれないと思ったのだ。人類への感謝と愛おしさが湧き出てきた。ありがとうございますって、大好きです愛してますって、周囲のお世話になってる人達、遠くのマブダチの人達、遠くの近くのお友達、遠くの近くの知り合いの人達全員に言いたい。大声で言いたい。私の人生のピカピカ達に感謝と愛を届けたい。そうだ、皆は私の人生のキラキラだ。恥ずかしいけど、これが今の私の率直な気持ちです。