苦手だっていう話

 

今日はブログを書こうと思った。

 

二日連続でブログを書くとは中々殊勝だ、私。こんな事では誰も褒めてくれないので自画自賛をしておく。ご褒美に今さっき発見したアイスクリームでも食べようと思う。周囲の人間が誰も私を褒めてくれないので、いつの間にか下らない事でも自画自賛する癖がついてしまった。これは私の周囲が私を褒めてくれないのが悪い。私は悪くない、悪くないのよ!サイコパスとか気持ち悪いとか言われるけれど、私は清廉潔白ピュワー人間なのよ!社会が悪いのよ!ギャース!

こんな感じで適当に社会に責任を擦り付けておく。私ごときに責任を擦り付けられる社会には同情を禁じ得ない。許せ、社会。

 

昼過ぎにチャイムの音で起きた。チャイムって本当に嫌だ今日は不吉な日だと思いつつ寝巻のままで応対した。訪問者には失礼だが待たせる方がもっと失礼だろうし、などと誰にという訳でもなく言い訳をしつつ、「すみませへん」と言いながらドアを開けた。その途端、宅急便の配達員に実家から届いた段ボール箱を手渡された。は、そういえば親からの電話で今日届くように荷物を送ると言われていたのだ。すっかり忘却の彼方に置き去りにしていた。よろしくない。とりあえず親に「荷物届いたよありがとう」とメールを送る。どうだ、殊勝な子供だろう。ドヤァドヤァ。だが何故か段ボールを開ける気にならなかったので、そのまま放置した。

チャイムと電話の着信音がどうも苦手だ。勿論それらが決定的に苦手になった出来事がそれぞれにあるのだが、それらの出来事が起こる前からやっぱり苦手だった。つまり、産まれた時から根がコミュ障である私にとって嫌な音っていうだけなんだけど、とにかくどちらも私にとって不吉で不快で恐ろしい音なのである。早くそういう応対とかやってくれるアンドロイド出来ねえかな、見た目が16歳の美少女だったら尚良しだよな等と考えつつ送られてきた段ボールを茫漠と見ていたら、いつの間にか結構時間がたっていた。

 

起き抜けにその不吉さが予言された今日は、予言に反して普通だった。

 

 

 

知るかよっていう話

 

 

今日はブログを始めた。

何で始めたのかなーなどと思う訳だが、知らねーよという解答が脳みそのシナプスから跳ね返ってくるので、分からないというのが現時点での正直なところである。一般的な表現で言えば気分だよねっていうかノリだよねオライオライ人生ヒャッハーみたいな。

 

遠い昔、知るかよって感じだろうけど実はブログを書いていた。だが結局記事(でいいのだろうか?)を5つくらい書いたら、書きたいことが潰えた。そして更新も同時に潰えた。ブログへの熱意はその程度だ。あと去年日記帳を買ったのだが、買ったその日に日記を書いて、その半年後位に1日分だけ書いたら1年が終わっていた。お金を無駄に使って得た教訓は「私は日記のようなものを書くのが苦手なのだ」という小学生の時には既に分かっていたものだった。なんなんだよほんとに。怒るぞ。往々にして貨幣の無駄遣いをし続けそしてそれにより得る教訓は、「前から知っとるわそんなこと!」みたいなものばかりの人生である。は?ほんとなんなの。マジでブチ切れそうなんだけど。どうしてくれんの自分。

自己への非常に下らない怒りは踊って発散するので置いておく。何が言いたかったというと、本ブログは、この記事を書いて終了です!あばよこの野郎好きだ結婚してくれ!という末路を辿る可能性が高いという言い訳をしたかった。そもそもこのブログを読んでくださるような人間が果たして存在するのかという謎はあるのだが、一応の言い訳を書いておく。

 

今まで私のSNS生息地はツイッターのみであった。大体いつもツイッターで低レベルのポケモンみたいに鳴き声ばかり上げていたり、美少女が大好きだとか美少女に関する妄想だとかそういう愚にも付かないツイートばかりしている。いやむしろ人間に対して百害あって一利なしみたいな変態的ツイートばかりしている。誠に申し訳ございませェェェん!と叫びながらジャンピング土下座をしないと許されない気がするが、フォロワー諸氏の優しさに甘えて謝るどころか調子に乗って変態的ツイートをし続けている。

ツイッターは当たり前ながら140字限定である。だからこそ、そういうヤバいツイート群を大量に連続ツイートしないと私の脳みその中を出し尽くせないという訳で、他者にとって自分は迷惑な存在なのではないかと思っていた。ははあ、ボケーッと文章を書いていたら何故ブログを始めようと思ったのか多少クリアになった気がする。変態的大量ツイートを行う事に罪悪感があったのか。なるほど。だから大量に文章を書けるブログと言う媒体を使おうと思ったのかもしれない。へえ。まあ本当の所は自分のことながら知らんけど、丁度いいブログを開始する理由付けにはなっているのではないだろうか。

 

とはいったものの、恐らくそこまで変態的な内容のブログを書く事は(少なくとも暫くは)ない気はする。ツイッターでのツイートよりもブログ記事の方が私のことを知らない人間の目に入りやすいのではないかという無根拠な考えが私にあるからである。だからといって、何か凄いためになるような有益な事は書かないだろう。読んでも読まなくても同じじゃねーか時間返せ訴訟みたいな記事しか書かない自信がある。そのような類の自信に満ち溢れ、私は生きているなう。

まあそもそも今後何らかの記事を書くかも謎であるのだが。